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2021年09月21日00:05

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黒部紀行34 十三寺 / 愛本新遺跡

 8月20日金曜日は愛本新御前林の松から旧北陸上街道の県道13号線を北上、下新川(シモニイカワ)郡入善(ニュウゼン)町に入りました。少し進むと高野山真言宗中尾山十三寺(ジュウソウジ)があります。
 https://www.google.com/maps/@36.8783892,137.5540549,17z
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 十三寺の創建に関する一次史料はありませんが、寺伝によると天平年間(729〜749)に行基が当地を訪れた際、紫雲が棚引(タナビ)くを見つけ、そこに歩み寄ると大杉の言霊の御告げを受けたため、その杉を用いて馬頭観世音菩薩立像(モクゾウバトウカンゼオンボサツリュウゾウ)・千手観世音菩薩立像(センジュカンゼオンボサツリュウゾウ)・聖観世音菩薩立像(ショウカンゼオンボサツリュウゾウ)の三像を自ら彫刻し安置したのが始まりとされています。
 その後、舟見城主飛騨守五郎左近尉(サコンノジョウ)の守護仏として篤く信仰されていましたが、天正年間(1573〜93)に上杉謙信軍の侵攻で舟見城は落城し、本尊の三像も行方不明になってしまいました。
 ところが、宝暦11(1761)年に至って法福寺《昨日の日記参照》住職の清智が霊夢を見て三像を見つけ出し、十三寺を再興して安置したのです。
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 本尊の三観音像〔富山県指定文化財〕は六年に一度だけ開帳される秘仏で、御開帳の際は米吊り奉納が行われます。
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 木造千手観世音菩薩立像は像高85.7cmの杉材一本造で、実際には平安時代末期から鎌倉時代初期の作であり、24本の手の内を頭上に上げる京都清水寺本尊と同様の様式です。木造聖観世音菩薩立像と木造馬頭観世音菩薩立像の二体も同年代の作と推定され、像高73cmの杉材一木造です。馬頭観音は手を下に向けて合掌している珍しい形状です。
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 十三寺には寺宝が多く、木造狛犬〔入善町指定文化財〕・持国天立像〔入善町指定文化財〕・多聞天立像〔入善町指定文化財〕等も安置されています。
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 十三寺から西進して再び黒部市エリアへ戻り、照り返しの強い田園地帯の道を歩くうちに、真っ黒に日焼けしてしまいました。ww
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 黒部川支流沿いの道を北上します。道に沿って冷涼な水が流れる用水路があったため、体感温度は低かったです。
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 やがて、今回の旅行で一番アクセスの悪い難敵だった愛本新遺跡〔富山県指定史跡〕に辿(タド)り着きました。
 https://www.google.com/maps/@36.8871853,137.5450212,17z
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 愛本新遺跡は、縄文時代中期から後期にかけての約2haに及ぶ大遺跡で、大正時代(1912〜26)に発見され、昭和45(1970)年に農業構造改善事業に伴う発掘調査が行われ、後期の住居跡や集石遺構などが発見されました。
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 遺跡全体は調査後に浜砂で覆い埋め戻されて保存されています。
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 住居跡は三棟が発見され、一号住居跡は10個の柱穴の配置から長径6.1m・短径5.0mの大きさと推定されます。
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 集石遺構は、七基が発見され、10〜27cmの川原石を1.5m程の円形に集め、中央がやや高くなっています。
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 この集石遺構の中から磨製石斧製作の加工途中の物や、擦り切り用の工具や打ち欠きの工具等が見つかったため、縄文時代中期には蛇紋岩製の磨製石斧を製作していた事が明らかになりました。
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 また、数多く出土した中期前半の深鉢形土器の一つに、丸い鼻孔と三本指を持つ尾の長い四つ足で、顔を少し持ち上げた姿の家守(ヤモリ)の様な動物を口の部分に取り付けた造形が見られます。富山県内でこの種の動物の形を表現した物としては、砺波(トナミ)市庄川町の松原遺跡や南砺市井口遺跡から出土した土器に猪を表現した物があります。
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《続く》
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