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2021年07月25日16:07

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「社会人」を疑おう

この記事の中に、就職は「学生から社会人という立場になる人生の転換点」とあるけれども勤め人のことを「社会人」と呼ぶことにひそかに疑問を持っている。まるで学生は社会の一員ではないかのようだからだ。

学生は「社会人」ではないからSDGsだのエシカルだのと理想を追っていられるけれども、いったん企業(や官庁・学校・商店など)に就職して「社会人」になってしまったら、SDGsだのエシカルなんちゃらだのといったキレイごとは全部ゴミ箱にうっちゃって、上から言われる仕事をこなし、会社がゼニ儲けせんことには話にならん。まず食うて行かれへんのや……という感覚があるのではないか。所謂社会人にも学生の側にも。

だが今や環境や人権といった「キレイごと」を無視したり、「そんなこと言う奴はサヨクだ」とレッテルを貼って済ましていたら、逆に会社が危うくなる世の中である。たとえば水俣チッソが有機水銀の汚染水をばんばん垂れ流して、水俣付近の住民に深刻な健康被害が出ていても「会社と国家の成長の為には少々の犠牲はやむを得ない」などとうそぶいていられたような、そんな時代ではすでにない。

しかしながら、長年政界・官界・財界に身を置いていた年配層はそういう価値観を捨てきれない。「社会」の中枢で牛耳ってきた彼らはもちろん、そういう価値観に同化した青年・中年もまた然りである。「ジェンダー平等を目指そう(SDGsの5番目)とかあるけど……女の子なんか結婚したり子供出来たら辞めてまうやんか。それやから重要な仕事は任せられへん」というあたりが本音であろう。もっとも最近では少子高齢化が進んでいることから、「保守」が売り物だった前の安倍政権ですら労働人口の減少が深刻な問題になることには気がついて、「SHINE!女性が輝ける社会」みたいなことを言いはした。ただ、女性の活用を訴えはしたが、これまで女性が長く働くことが困難だった従来の「社会」の構造や意識をどう変えるか、というところまではとても踏み込めなかった嫌いがある。

「社会人」が属している「社会」のほうが世界の潮流からも落伍しており、また日本国内だけを見ても老朽化した「社会」の構造が世の中の趨勢に対応し切れなくなっている。これまで続いてきたJOCのグダグダは、日本の「社会」そのものの古臭さと時代錯誤ぶりを象徴的に示すものであった。1960年代の東京五輪では「世界のお客さんにこんな悪路を見せられない」ということで道路整備が進んで、日本の道路や交通事情が劇的に改善される契機となったが、それならば今年の東京五輪は、はたして日本の「悪社会」が劇的に改善される契機となるだろうか?


■「口先だけのSDGsは見抜きます」大学生起業家「エシカル就活」の野望 変わらないと淘汰…危機感あおる

(ウィズニュース - 07月25日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6603914
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