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2020年09月01日20:21

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ターンエーガンダムが与えたボンボンに対する負担

こんばんは、月影TAKAです。
今回は「ターンエーガンダムが与えたボンボンに対する負担」について語ります。

「えっ、ターンエーガンダムがボンボンに何かしたの(笑)」としたらあいつのせいでボンボンが滅びました。
お忘れでしょうか。「角川書店のガンダムエースがあえてコミックボンボンから引き揚げなかったガンダム作品がある」ことに。
それが「コマンド・ナイト・武者のSDガンダムシリーズ」である。
まあ、コマンドは元祖の崩壊からボンボンでもジービークルシリーズ以降閉鎖的になりました(そこん代わりにGジェネシリーズをはじめて、ガンダムエースが奪い取る形で続けてます)。

で、この問題なのが「ナイト・武者SDガンダムシリーズ」である。
この作品はコミックボンボンに残されることとなりました。
そう「最大級の嫌がらせを残して…」。
それが「ターンエーガンダムの壊滅的な設定要素」である。
ナイトガンダムは作中でもあるように「原作ガンダムのオマージュSDガンダムがナイトや闘志をやっている」ことがターンエーガンダムのよくにいう「ターンエーウィルス(新型コロナウィルスと掛け合わせて)」が萬栄した点です。
それが「月光蝶と黒歴史、マウンテンサイクルにディアナ・ソレル」である。
これは先に「武者ジェネレーションシリーズ」から話をしなければなるまい。

言うまでもないけど、武者シリーズも「原作ガンダムをモチーフとしたオマージュ武者頑駄無が登場する」形式である。
例えば「天零頑駄無⇒ウイングガンダムゼロ(TV版)」の様な感じですね。
で、「どうして、ボンボンがアナザーガンダム3部作を先見して主導権を取ろうとしたのか?」とすれば、実はこのSDガンダムの事情が絡むことになる。
サンライズが考えたいい加減要素の制御不能なガンダムをボンボン側が押し付けられるよりも、SDガンダムに投影して見栄えのいいガンダム作品をボンボンから提示した方が、後のナイトシリーズや武者シリーズとの連携がとりやすい要素があるのである。

よくに「武者頑駄無零壱」や「武者ウイングゼロカスタム」が出ていた頃まではまだこの法則でボンボンにある程度の自由度がありました(これは間に「バンダイ」「B-CLUB」が絡んでいてくれていたので、あまりに過度なデザインや設定のガンダムを模型側が許さなかった点ですね)。
しかし、ターンエーガンダムの登場でこれがガタガタに崩壊します。
何故なら「ターンエーガンダムはプラモデルメーカーであるバンダイに相当な恨みを買っている」事情があるからである。
その原因が「シド・ミード」である。
シド・ミード氏はあの「ブレードランナー」で有名なデザイナーである反面(ブレードランナーの模型はVFXじゃねえのか?こらぁ(怒)」と威圧したら多分すごみます。
当然ですね。海外では、当時では「模型=VFX」というより「自作された相当精度の高い立体物」という認識があり、そのまま通りにシド・ミード氏がターンエーガンダムの登場MSをデザインしてしまったことが災いし、「射出式成型+金型量産」を前提とするバンダイからクレームがあってのではないかと思われます(故にターンエーガンダムのオリジナルガンプラ商品は全然数が揃わずに、報られたことは有名です)。
しかし、ターンエーガンダムも一応「SDガンダム」が作られたのですが、これがる悲劇を生んだ。
そう「Gジェネシリーズ」である。
もちろんだが、その当時のバンダイのSDガンダムと言えば「Gジェネレーションシリーズ」に全力を注いでおり、SDガンダムのデザイン資料集でも「Gジェネレーションシリーズをベースとした追加パーツで再現する武者シリーズ」というお題で開発が進んでいた。
しかし、その点が悲劇を生み「Gジェネシリーズ⇒当然SDガンダムに人が乗り込んで戦わないとイメージが合わない」という悲劇を生んだ。
前作の武者ウイングゼロ等が登場する作品では「SDガンダム自身に意志があって人間が登場しない世界」として描かれていたが、Gジェネシリーズのプラモを使うという事は「人間を登場させなければならない」という問題点を生んだ。
しかも、間が悪いことに「ターンエーガンダムを売り出せ」とサンライズからの威圧がかかっていたことがダブルに悲劇を読んだため、その設定に「マウンテンサイクルやディアナ・ソレルを起用する」傾向にあった。
当然、主人公は「ロラン」にされてしまい「ターンエーガンダムをベースとしたSD武者シリーズ」という蹴飛ばしたくなるほど憎い作品と化してしまった(しかも、最後の武者頑駄無の設定画SD戦国伝の武者頑駄無の設定と繋がらないというおまけつきである)。
これが一つ目の「ターンエーガンダムがコミックボンボンを滅ぼした」という理由となっている。

正直、ときた先生版のターンエーガンダムが終わって「次回から4作目のアナザーガンダム再始動exclamation ×2」とかのノリなら多分小学生時代の読者であった私も安泰だったのだが、悲劇的にもこの「武者ジェネレーションシリーズ」が間延びして、更に悲劇が連続して続く。
そのときた先生の次回作が「SDガンダム英雄伝」なる物だった。
これは「SDナイトガンダム版の武者ジェネレーションシリーズ」という物で、これも「SD人間キャラがSDガンダムに搭乗して戦う」という物だった。
しかし、この作品の前半は打って変わって「主人公はナイトガンダムとそれを扱う少年主人公(オリジナル)」となっていたため少しほっとしていたが、後半で見事に裏切られたのだった。
それが「敵側の統括する将軍⇒ターンエーガンダム+金髪騎士」である。
「また、ヒゲかexclamation ×2この野郎exclamation ×2」「死ねやぁexclamation ×2富野の回し者がぁexclamation ×2」と何回怒りに震えたことだろうか。
武者ジェネレーションに飽き足らず、ナイトガンダムの世界までターンエーウィルスを萬栄させに来たか、このヒゲェexclamation ×2
当然ながら、ナイト版のこのヒゲ野郎はバンダイからプラモ化されていません。
よほどバンダイから怒りを買ったようです、このヒゲェexclamation ×2
そして、わけのわからないパワーアップを果たしてラスボスのデビルガンダム調の化け物を倒して終わりましたとさ(たしか、ナイトガンダムは元の姿に戻されて次の操者が決まるまで、お城で管理されていたと思います)。

そして、これが祟ったのか、その次回作のときた先生の作品は「ときた版逆襲のシャア」となんと大昔に逆戻りしました(この逆戻りした原因はバンダイあたりのPS1ゲームで「逆襲のシャア」が発売されたからですね。それ以前は「Zガンダム」が発売されており、その作品では「1年戦争と逆襲のシャア」を行ったり来たりしてストーリー進行させていたと記憶しています)。

で、ボンボンはガンダム作品の大半を失い、漫画家は大々的にお引越しを行い「ガンダムエース」「ケロケロエース」と角川文庫とサンライズの癒着によって漫画家を講談社が奪い取られる形で大幅に弱体化。
見る価値がなくなった私達もボンボンを見なくなりましたが、ボンボンを滅ぼしたのは間違いなく「ターンエーガンダムと、ターンエーガンダムを売れるようにしろと講談社に威圧したサンライズ」であることは間違いありません。
故に、サンライズにとっては「ターンエーガンダム以降の90年代末期ガンダム作品」は非常にバツが悪い印象を持っており(後ろめたさから)、SDガンダムがサンライズのガンプラアニメにあまり登場しないのも「ターンエーガンダムを引き合にされてボロカスに言われたくない」というのが事情にあるのではないかと思われます。
しかし、私は言います。そして「それの弟分であるGレコは私の中では死刑である」と断言します。
今日はこんな感じです。
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