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2020年06月28日07:51

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第72話

 タクシーの運転手というのは、想像以上に乗客を観察しているものだ。ハリはキャップをかぶっていたが、「お嬢さんすごくおきれいですね。タレントさんみたい」と言った。大抵の人がハリの容貌にひと言触れずにはいられなくなるようだ。若い女性を除いては。彼自身は最初ハリを見て、逆に言葉を失ってしまったのだけれど。
 ようやく営業所の前に到着すると、女性はもう一度バスの時刻を確かめ、あの待合室の中で座って待っていれば必ず拾ってくれるとふたりに教えた。
 コンクリートでできた小さな待合所の硬いベンチに腰を下ろす。
「どこでもみんな親切だよね」
 ハリが言う。
「多分、都会とは流れてる時間も空気も違うんだよ」
「でも、あのおばあさんは気の毒だった、段ボールのこと」
「確かにね。この国の社会はどんどん不寛容になっていく。自分の利害ばっかり考えるようになって」
「役所に文句言うんじゃなくて、車持ってる若い人がおばあさんの分も運んであげたらいいのにな」
「ハリの言うとおりだと思うけど、みんなそれぞれに事情を抱えてるから、難しいこともあるんだろうね」
「でもおばあさんが運べないんだったら助けてあげない人はおかしいよ。役所だって何か方法を考えないと」
「気持ちはよくわかるけど、誰かを非難するときは慎重に事情を確かめた方がいい。そうでないと結局は無責任で不寛容な人とおんなじことになってしまうからね」
「そうか。そうだね。ちょっと割り切れない気分だけど」
          フォト   
 バスが来た。観光客など乗っていない。買い出しの老女が手に余る袋を抱えて数人乗っているのみだ。その老いた相貌に笑みはなく、その姿には運命に従うしかない者の寂寥感しか漂っていないように感じられる。この国では実に巧妙な形で弱者が切り捨てられていく。段ボールにまつわるハリの腹立ちに諸手を挙げて賛成してもよかったのだが、素直にそうできない自分が彼には不可解だった。
 バスはときどき道を逸れて集落内を走りながら、西海岸に沿って北上を続ける。海岸線には岩礁が多く、ゴツゴツとした印象で遠浅のようだ。沖合に細長く島が見えたので、携帯で現在地を調べたら馬毛島(まげじま)だった。これが馬毛島なのかと彼は思う。
 彼が好感を持つある文筆家は、沖縄の辺野古で建設が強行されている米軍基地を、どうしても造らなければならないのならこの島に持ってきてはどうかと提言している。その提言が受け入れられる可能性は全くなかったが、その文筆家のおかげで彼はこの島の名前を知っていた。馬毛島を別の米軍施設の候補地にと国は画策しており、地元からは自衛隊誘致の声も挙がっていると聞く。
 ハリの「卒業祝い」に馬毛島に関する知識は含まれていなかったようなので、彼はかいつまんで説明をした。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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