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2019年11月16日00:15

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真剣さを見せる方法

教育の話をすると、「叱ってもよいが、怒ってはいけない」と言われることがあります。自分が腹を立てたという感情をぶつけても、教育的効果は得られない、と言うわけです。指導教育するような場合には確かにそうだとは思うものの、世の中には怒らないと態度を変えようとしない人が少なからずいて、そういう人に態度を新た得てもらうには怒るしかないのだと考えます。もちろん、それは単純に怒った人に対して「そういうことをしちゃいけない」と学習するだけで、「誰に対してもすべきでない」「教育」にはなりません。また、怒った相手が格下だと思えば、やはり態度を改めることはないので、結局、腹は立ったままだったりするかもしれません。

私は怒鳴ったり声を荒げたりするのは苦手で、腹が立ってもあまりそういうことをしません。もともと、小さい時はいわゆる癇癪もちで、「怒るな」と言われ続けたこともあってか、イラついているのが態度に出たりすることはあってもできるだけ静かに問題を指摘して改善を希望したり、それ以上に腹が立ったら、その場を離れるか、無視したり、考えるのをやめてしまうようにしていました。しかし、前述したように一部の人が、そういう態度を見ると「静かに話している間は起こるほどの問題だとは思っていないのだ」「我慢するということは容認しているのだ」と考えるようだ、と気が付いてから、必要に応じて声を荒げて相手を非難したりするようにしています。

「人を怒らせて喜ぶ子供」とか「相手が怒っても気にしないヤツ」とかが問題にされることがありますが、それが問題になるのは、普通は相手が怒ったら「それはしない」のが当然だからです。逆に考えると、相手が怒らなければしてよい、と解釈する人は(論理学的には間違っている推論だとしても)でてくるわけで、怒って相手の態度を変えさせるというのは人間としての基本戦略なのでしょう。しかし、特定の相手に対する態度を変えさせたからと言って、一般論でどうすべきかを変えるかどうかは別の話なので、教育的効果を望むのであれば怒らないほうがよい、と言うことになります。

私自身は問題があるなら腹を立てるより先に改善の手段を考えるべきだと思うので、腹を立てるのはだいたい怒ってばかりで解決をしようとしない人だとか、問題があるのに気付こうとすらしない人とか、解決の邪魔になることに対して腹を立てることが多いので、腹を立てた結果としての行動は冒頭に言った無視するとか、立ち去って離れると言った「邪魔されないための解決策」になります。そして、怒って見せることで「真剣に取り組もうとしているのだから協力しなくてはいけない」と感じる人がいるということで、問題の解決につながることに、ずいぶん歳を取ってから気が付いたわけです。
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