抑々、私自身が体調の不良で、何時もより1週間遅れでサンパツに行ったのだが、理髪師の彼も私と同年であるから、体力的な限界を身に沁みて感じているに違いない。尤もな話である。
今日、その1週間遅れのサンパツに行ったら、今月中に店仕舞いをする旨告げられた。おやおや、寝耳に水とは此の事ではないか
そうか愈々その時が来たか
『やっぱりね、そうだろね!』と演歌歌手の「氷川きよし」ではないが、そう言うより言葉が無かった。
思い返せば彼の店との付き合いも長い付き合いであった。
JR駅前の小さな一戸建ての理髪店時代に通い始め、その店の土地を含めて「西武百貨店」が出来る為、その西武百貨店の4階に店が移り、そこで長く遣っていたが、西武の店舗改装に伴って、諸般の事情からそこを出て、今のビルの2階に移って今日に至った訳だが、かれこれ40年以上にはなるだろう。
有態に言って、この店の越しかたも尋常一様な物では無かったのだ。 思えば西武百貨店の中で遣っていた頃が一番『華』の時代であったのではないかと、私は思う。あの頃は女性の職人に、若い衆の職人も二人いて、何時行っても暫く待たされた。 それが西武の店を出るころには若い職人は一人に成って居た。客足が減って来たのである。
老人は床屋へ来るが、何故か若者は美容院へ行く奴が多く成って来たそうである。 オヤジも決して手をこまねいて居た訳では無い。色々商売に工夫もしていた。 新生児が初めて髪を切る時の毛髪で筆を作る事とか、彼なりの努力は精一杯していたのは何時も目にしている。
しかし、時代の趨勢には抗し難く、理髪業そのものが時代に取り残されていくのには、如何しようもなかったようだ。
とは言え、80歳を超える今まで良くぞ頑張って来たものである。此の頃はサンパツに行く度に、彼に向って『私が死ぬまで続けろよ、この年に成って新しい床屋を探すなんて、面倒だからな
』と励ましと私の願望を交えて言って居たのだが、その甲斐も無く、遂に矢尽き刀折れた、と言う事か。
しかし、此れも思い様で、お互いに生きている内に、『長い間お世話に成ったねぇ』『長年のご贔屓有難う御座いました』と明るく言える方が気が楽だ。その方がお互いに音信が途絶えた状態のままでも、『彼奴は未だ達者で居るかな?』 と思う事は有っても、居なくなったと言う訳では無いのだから、その場だけでも暗い気持ちに成る事は無い。
何だか変テコリンな理屈だが、余命幾許もない爺ィが抱く勝手な思いなのである。
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