曳橋を渡り御殿跡へ向かいます。
橋を渡って左手にある石垣へ
土の中に400年埋もれていた石垣。崩れず残存状態が良好なため、検出してそのままの状態で展示されています
御殿の手前にある虎口
木橋から御主殿まで高低差9mをコの字に折れ曲がった通路があり、前面に石詰められた通路は安土城を参考にしたと云われています(北条氏照公は信長公に間宮綱信公を使者として鷹等を送っています)
虎口の先には冠木門
冠木門を越えると御殿跡があります
緑の部分は長年に渡る風化・劣化等なので遺構が発掘出来なかった箇所です。
御殿の礎石が再現されいます。
排水溝も整備されていたようです
会所跡は床が再現されています。
この御殿からはベネチア産の陶器や中国で焼かれた磁器も出土しており、交易の広さが伺えます(信長公と懇意にしていた時手に入れたのだろうか?)
発掘された遺構は埋め戻されました
土塁と石垣
御殿の裏には「殿の道」という山王台に続く古道があり、途中四段の石垣が見られるそうですが、ガイドの方が一緒でないと見学できません(以前は通れたが、遺構保護のため)
「しんがり」なのか「との」なのか不明ですが、館直上にあるので重要な道だったのでしょうね。
御主殿の滝
ここに自害・投身した人が多数いて城山川が三日三晩、血に染まったとの伝説があり心霊スポットと言われていますが、この程度の滝ではとても大量の人が死ねると思いません。
城山川を塞き止めて水堀の様にしていたという説もあるので、それなら有り得ると思います。
手を合わせ供養しました。無念だったでしょうね・・・
山麓遺構は終了。八王子城に登ります
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