3月15日(金)
東名高速から京都縦貫道を通って京都府亀岡市に着いた。
ナビに導かれるまま山の方へ国道423号を上っていく。
「弁天の里」に到着。
古い木造の建物があり左側が売店、右側が食堂になっている。
食堂の方に入るとメニューが貼り付けてあった。
提供しているのは「卵かけご飯定食」一種類だけ。
ここは養鶏場が経営するお店だから。
定食450円を注文する。
すぐにできた。
生卵が5つも篭に入っている。
足りなければ卵は食べ放題だそうだ。
こんなに卵を食べて健康上問題はないのかと心配になる。
ほかにご飯と味噌汁と漬物と高野豆腐。
この卵は生後一年の若鶏が今日の朝生んだばかりの新鮮なもの。
普通のスーパーで売ってる卵と比べると味が濃厚だ。
ご飯のおかわりは250円だ。
卵5個だから一杯では足りない。
ついでに自家製キムチも追加で注文する。
満腹になって山を下りていく。
途中で「明智戻り岩」というのが道路沿いにあった。
1582年、明智光秀が西国遠征に行こうとして引き返し、本能寺で織田信長を討った。
そのUターン地点だそうだ。
駐車スペースがあってハイキングルートの起点になっている。
しかし道が倒木で崩壊してしまっている。
去年の関西豪雨で地滑りを起こしていたのだ。
無残にハイキング道は消滅していた。
ここに来る途中でも国道の補修作業をあちこちでしていた。
国道がまだ修理真っ最中だから、こんなところは何年先に直すことになるのか。
ちょっと国道を歩いて行くと渓谷の向こうに「明智戻り岩」を見下ろすことができた。
大きな岩が旧道の横に屹立している。
しかし明智光秀が引き返したのはこの場所じゃないだろう。
谷筋の沢が流れている狭い場所で、部隊全員に突然戻れと命令するのだろうか。
おそらくもっと手前の亀岡の平野部で休憩したときに戻ることを伝えたんじゃないだろうか。
亀岡の市街に出て北へ行く。
またちょっと登りの道を行くと「森のステーションかめおか」があった。
亀岡市が建てたハコモノだ。
そのなかに「天然砥石館」があった。
刃物を研ぐ砥石は今ではセラミックを固めた人造砥石ばかりになった。
昔は自然石を磨き上げた天然砥石ばかりだった。
日本国中のあちこちで有名な天然砥石が採掘されていた。
それが一つずつ閉鎖になっていき、いまではここ亀岡に一カ所だけ現役の採掘場がある。
それで亀岡市は天然砥石が街の名産品ということで、ふるさと納税の返礼品にもなっている。
ということで天然砥石館へ入ってみた。
入場料は無料。
砥石の採掘ジオラマ人形が安っぽくて良い味を出している。
撮影禁止のコーナーでは珍しい貴重な天然砥石が展示してある。
いまではもう現品限りで取引され、めちゃくちゃな高値がついているものばかり。
どうしてそんなに値段が上がっていくかというと、日本刀の研磨には天然砥石しか使えないからということもある。
人造砥石ではどうしても、刃物の輝きや長い刃持ちが出せないそうだ。
展示即売コーナーもあった。
小さな砥石が一万円以上もする。
ちょっと大きくて高級なのだと数万円だ。
お土産に一つ買っていこうと思っていたけどやめた。
次は亀岡市の中心部へ行く。
亀岡城趾を見学するためだ。
亀岡城は明智光秀が築城した。
明治になり廃城令で天守閣などが取り壊された。
しばらく城跡は荒れ地になっていた。
大正8年、大本教が土地を買い取った。
石垣を復元して大きな宗教施設を作った。
かなり立派で荘厳な施設だった。
ところが昭和10年、大本事件が起こる。
近代日本史上最大の宗教弾圧だ。
亀岡城の大本教施設は徹底的に破壊された。
わたしはこの大本事件をモデルにした高橋和巳の小説「邪宗門」を読んで、ずっと亀岡城に来たいと思っていたのだ。
現在も亀岡城趾には大本教の本部がある。
宗教団体としてそれなりに活躍しているようだ。
本部棟の総合受付に行く。
城跡見学に来たと言うと記名帳に住所氏名を書かされた。
パンフレットをもらい、説明を聞いて、あとはフリーで歩き回ってよいようだ。
二階にギャラリーがあるからそれも見ろと言われた。
まずそこに行ってみる。
入り口すぐには大本教のお宝が展示してあった。
出口王仁三郎が作陶した茶碗、歴代教主の書画など。
なかでも目立つのは教祖・出口なおのお筆先原本だ。
明治時代、農家の主婦だった出口なおが艮の金神に憑依されたとして書き続けた神の言葉だ。
現在なら解離性障害患者のオートマチックライティングということでゴミ箱に捨てられておしまいになるだろう。
下手くそな草書体で太い筆で書いてある。
これがそうか!
感激してこっそり写真撮影しようとしたら、係のおじさんに見とがめられてやめた。
奥の方に亀岡城の資料展示コーナー。
さっき書いたようなことが写真入りで解説展示してあった。
外に出る。
お城の敷地だけあって広い。
本部棟からまっすぐ行くと突き当たりが植物園だった。
まだ春の初めなので草花は咲いてなくて標識だけが立っていた。
もらった地図を見ると神社の本殿のようなところの裏が本丸跡にになっている。
万祥殿という建物に、いちおう賽銭箱があったので十円玉を入れてお参りする。
そのあと左手から裏に回る。
本丸門跡をくぐると大きな石垣がある。
下半分ぐらいは明智光秀時代のまま残っているそうだ。
そこから先は禁足地だったり工事中だったりして行くことができない。
城跡見学としては、あまりたいしたことはない。
でもここは大本事件の現場なのだ。
意味もなく感動してしまう。
帰ろうとして神社本殿の建物をふと見ると受付と書いてある。
説明書きを読んだら、城跡見学の前に宮司さんにお祓いをしてもらわなければいけなかったらしい。
受付の人に、知らずに入っちゃいましたと謝罪する。
宮司さんは苦笑いしてた。
わたしは亀山城、大本教本部というのは田舎の山の上にあるのかと思っていた。
でもここはもともと平城で、現在は商店街の真ん中にある。
昔ながらの細い道にお店が建て込んでいて良い雰囲気だ。
こんな人通りの多い商業地で大本事件が起こったのだ。
認識を改めた。
帰りは高速代がもったいないので国道9号と1号を走って帰る。
名古屋に着くのに5時間かかった。
ちなみにこの夜は東海健康センターに宿泊。
翌日は焼津さかなセンターと伊豆の城ヶ崎海岸へ行き、さわやかでハンバーグを食べた。
こっちの方はメジャーな観光なので書くこともあまりないから省略する。
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