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2018年09月20日13:56

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歌枕紀行「元興寺」

 元興寺は興福寺の南方、古風な街並みが人気の”奈良町”の一角にあります。
 もともとは飛鳥京(明日香村、6〜7c)にあり、日本仏教の元祖的なお寺でしたが、平城京への遷都とともにこちらに移されました。当時の境内は、興福寺の南面から奈良町をすっぽり覆ってまだ余るほど広大だったとかexclamation
 住宅街の狭間にこじんまりと佇む様子を見るにつけ、現代の仏教の衰退ぶりを象徴するようで、しみじみさせられました湯のみ

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◎十年戊寅、元興寺の僧の自ら嘆きし歌一首

   白珠は 人に知らえず 知らずともよし

                  知らずとも 我し知れらば 知らずともよし

(海深くの真珠は、その真価を人に知られないもんさ。別に知らなくともかまわん。人は知らなくとも、この俺が知っていれば、知らなくたってかまわんさ・・・)

 右の一首は、或いは云はく「元興寺の僧、独覚多智にして未だ顕聞あらず
(右の一首は、ある本に「元興寺の僧に独覚多智の秀才がいたが、まだ世間に知られていなかったので)

 衆諸狎侮す。これに因りて僧、この歌を作りて自ら身の才を嘆きしなり」といふ。 
(周りの者はみな「変わったやつだ」と軽蔑していた。そこで僧は、この歌を作って自らの学才を嘆いたのである」とある。)


【十年】天平十年(738)、聖武天皇の治世。元興寺が奈良に移されて20年後
【白珠】世間に埋もれた自分の学才をたとえる。「白(シラ)」と「知ら」を重ねることで軽快なリズムを生み出している
【或いは云はく】『万葉集』は、8c半ばに現存していたさまざまな和歌資料をもとに編纂されている
【独覚多智】独覚は、静寂の中で独りで修業して悟りを得ること。多智は、寺に所属して学問で悟りを得ること。この二つは両立しがたいが、彼にはその自負があった 

                                『万葉集』巻六

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