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2018年09月15日02:41

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歌枕紀行「田蓑の島」3

 田蓑(タミノ)の島は、前回の加島のすぐ南。この辺りの古典の故地では、もっとも島の形状を保っています。
 中世には「佃(ツクダ)村」と呼ばれ、かの徳川家康が本能寺の変を知って領国に逃げ帰ろうとした時、ここの漁民に船を貸してもらった恩義から、のちに彼らにプレゼントした土地が、あの東京の佃島だとか。
 どうもこの辺を歩いていると、川岸が延々と高い塀で覆われていて、「川のそばなのに川が見えん!」という妙なフラストレーションが溜まるのですが、ふと見た標識に「海抜マイナス1.5m」とあって納得しました・・・げっそり
 
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◎難波(ナニハ)へまかりける(出かけた)時、田蓑の島にて雨に遭ひて、詠める(+歌)


    雨により 田蓑の島を 今日(ケフ)ゆけど

                   名には隠れぬ ものにありける

(雨が降ってきたので、濡れまいと田蓑の島に立ち寄ったが、やはり名前をあてにしても濡れちゃったなぁ・・・)

【紀貫之】866?-945?、中級貴族の紀望行の子。抜群の歌才により、宮中からたびたび代作を依頼され、ついには『古今和歌集』の撰者に選ばれた
【難波】淀川の河口付近の呼称
【まかりける】「まかる」は主に京から出かける際に使われる          
【名には隠れぬ】「雨具の「蓑」を名に持つ島にやってきたが無駄だった」と戯れている

                       『古今和歌集』雑歌上918・紀貫之 

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