加島は前回の神崎のすぐ川向う。ここも遊女の里として有名でした。古典には「蟹(カニ)島」とも見えます。
この辺りに遊女の里が集中しているのは、京に往来する船が夜泊するのにちょうど良い地点だからかも。昔の面影はというと、神崎以上に皆無・・・
想像をたくましくするに、裕福そうな船がここを通りかかるや、両岸からワーーッと遊女の船が群がってきて、綺麗どころからオバケみたいなのまで一斉に歌い踊ってたんやろなぁ。
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◎加島を過ぎけるに、遊女(アソビ)どものあまた詣(マウ)できて、歌うたひけれども、
(加島を通り過ぎた時、遊女どもがたくさん船を差し寄せてきて、私の気を引こうと歌を披露したけれども)
「かかる思ひをかぶりて上(ノボ)れば、得(エ)あそばぬよし」など申して、
(「このような喪中の身で上京している際なので、遊ぶことができないんだ」などとお伝えして)
いささか物など心ざして遣(ツカ)はしたりければ、また夜詣できて、
(お詫びに、いささか贈り物を用意して届けたさせたところ、夜中にまたやってきて)
聞こえかかりければ、詠める
(しつこく歌を詠みかけてきたので、私が返した歌)
加島へは 遊びしにやは 着きぬらん
戯(タハブ)れにても 思ひ懸けぬを
(この加島へは遊びをするために着いたのだろうか。戯れにもそんなことを思い懸けないはずの喪中の身なのに・・・)
【源俊頼】1055-1129、父の経信は宇多天皇の子孫。当時の歌壇の中心人物。この歌は、永長二年(1097)の閏一月、父が九州で亡くなったので、彼が葬儀を執り行い、四十九日を済ませてから船で上京する途次、興にまかせて詠み続けた歌群の一首
【思ひ】喪中の意
【得あそばぬよし】「遊ぶ」は共寝することではなく、楽器をかなでながら歌舞を楽しむこと
【物など心ざして】米や衣服が多い
【やは】反語で「〜だろうか。いや、そんなことはない」の意
【思ひ懸けぬ】「思い懸けない」と「喪中」をかける
源俊頼『散木奇歌集』巻六
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