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2018年07月18日18:04

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中国王朝史41 まとめの前に

●清代まとめ

当然だが、歴史を追うごとに、王朝が進むごとに
科学的根拠のある史料が豊富になり、
書いている内容が段々と濃密に、細かくなってしまうのであるが
それを割り引いたとしても、
「清」代は1616年〜1912年までの300年続いた王朝であり、
ドラマはてんこ盛りである。

初代「ヌルハチ」王は、この時はまだ満洲の部族のリーダーという位置づけだった。
その後、1644年に明の滅亡と入れ替わるように中国支配を開始し、
明確な中華王朝となったのだ。
最後の皇帝は「宣統帝溥儀」。
この名前の表現だけでも、彼ら満洲人征服者が「漢民族化」し、
彼ら自身が「This is 中国」となった事の現れである。

この溥儀については、
清の皇帝退位後に、満洲における日本の傀儡政権「満洲国」の皇帝に就任。
世界史の舞台にはもう少しだけ続いて登場する。
詳細についてはベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」を見て頂ければ話は早い。

しかし、清朝が世界でも有数の大帝国として君臨したのは200年ほどで、
最大版図を形成した「乾隆帝」の時代が終わった1794年頃から衰退は明らかであった。

1840年のアヘン戦争(対イギリス)の敗北によって、
明確な弱体化が世界に示されてしまうと、
それから1912年に正式に滅亡するまでの間、
帝国主義国家たちに中国大陸の国土と利権を
これでもかと言わんがばかりに食い荒らされる形になるのである。

溥儀が退位したのは1912年だが、
この頃までに民衆は清朝に対して見限っていたというか、
改革の必要性を肌で感じるまでに朝廷は衰えており、
1911年の辛亥革命によって1912年に建国された「中華民国」は、
アジア初の共和制政権(厳密には「台湾民主国」というのが先)となったのである。

その改革の道のりが険しかったのはご存知の通り。
現在も台湾政府は「中華民国」という国家名を名乗っているが、
上記の「中華民国」の流れを汲んでいながら微妙な扱いである。
国際社会でも一時期この国名は正式な「中国」の国家名として
通用していたのだ(国連の常任理事国だった)が、
中国大陸を実質支配している政権は「中華人民共和国」であり、
その中華人民共和国が「台湾は我が国の領土の一部」と主張するので、
うやむやにする部分を作りながら
「台湾政府」と「北京政府(中華人民共和国)」それぞれを尊重する姿勢を保っているのだ。

この「中華民国」については後述する

また、我々日本に関しても、日清戦争に戦勝するなど
かつては「アリ」と「ゾウ」くらいに規模が違う両国だったのに
数千年の時の流れの中で逆転が起きている。
そして、日清戦争時に既に
「中国」とその政権に対して
侵略目的で国土と尊厳を冒していた時期がある事を改めて確認されたい。
それはやがて日中戦争に発展し、
日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)で連合国軍に敗北したことにより
中国大陸から撤退を余儀なくされるまで、
中国大陸の一部や朝鮮半島、台湾を実効支配していたのである。

ただ、そこに正義があったか世界情勢がどうだったか、を
ここで議論するのは不毛である。
当時の「国際情勢」や「社会正義」は、
現代では全く通用しない理屈で成り立っているのは明白な上に、
現代の当事者の感情では「当然、許しがたい」内容だからである。

日本に限らず、「弱肉強食、優勝劣敗」が
国際社会の「道理」としてまかり通っていた時代だからこそ、
自国の繁栄を目指すときに戦争や侵略行為という手段が選択されたわけだが、
戦争に火器が導入されて以降、
「侵略する側」の道理は「侵略される側」を蹂躙する事が前提になっている。
※朝貢スタイルで国体維持しながら属国になる事が難しくなった、という意味。
それが帝国主義というものであり、植民地政策という考えである。

遡れば当然ながら、
のちに「侵略される側」となった「清」朝も、
元々は「侵略する側」であったわけで、
これを非難する事は出来ないのである。

しばしば「日本は中国を侵略した」と強弁する人に遭遇するが、
同様に清朝も共産党政府の人民解放軍も「周辺諸国を侵略した」のは事実であり、
中国人にそれを言われる筋合いはない。
「清朝時代の事は現代の中国人には関係ない」と中国人が言うのなら
「大日本帝国時代の事は、現代の日本人には関係ない」のである。

不毛だと言いながら色々と述べてしまったが
次項は「中華民国」に触れたいと思う。

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