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2018年07月09日20:51

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イエスは馬小屋で生まれたのか?

蘇りし天使たち〜ベツレヘム生誕教会修復事業の軌跡〜ギャラリートーク
の最後のひとつ。@国士舘大学・イラク古代文化研究所展示室
第一回の分:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966573574&owner_id=1673188
特別講演会:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967158628&owner_id=1673188

今回は、これまでの修復事業に関わる事柄から離れ、考古学が宗教と関わる中で、宗教的な見方の歴史的事実と異なる見解を取りうるというハナシだ。

ベツレヘム生誕教会は、イエスが生まれた場所という点において聖地なのだが、そこが馬小屋だったか?という話だ。
もっとも、そもそもイエスはベツレヘムで生まれたかという話もある。

聖書にはイエスが生まれる経緯が書いてある。

ルカによる福音書・2章
1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。

このため、臨月のマリアとヨセフは、ナザレからエルサレムを経てベツレヘムへ行ったわけだ。
だが、この時代の勅令を細かく記録してた人があって、それによると、そのタイミングではそんな勅令及び調査(Census)は無かったという。
かつ、調査は生活圏で行われるのが通例であって、本籍地へ移動して調べるってルールは無いという。

次に

ルカによる福音書・2章
2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

マタイによる福音書・2章
1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、

ヘロデ王は紀元前4年に死去。キリニウスは紀元後5年にシリアの総督だった。
故に時期が合わない。

更に、こういう調査は行われていたが、臨月の女性を100キロ以上歩かせるような要求は行われていないし、多くの人が調査を勝手にパスして罰せられることもなかった。

マルコはガリラヤのナザレからイエスが来たと言ってるので、ナザレで懐妊、出産したともとれる。
また、マタイではヘロデの治世にベツレヘムで生まれたときに…と言ってるから、ベツレヘムで懐妊、出産したんでないか。
つまり、生まれた場所はベツレヘムではないかもしれない。まあ、ベツレヘムかもしんないんだけど。
ともあれ、ここは生誕はベツレヘムであるとして。

ルカによる福音書・2章
6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

馬小屋で生まれたとは書いてない。聖書のほかの場所にも馬小屋とは書いてない。
「飼い葉桶」と書いてあるだけだ。
そして、宿屋という言葉だが、ギリシャ語を引っ張ってくるのは面倒なのでカタカナで書くが、カタリューマという単語が使われている。
これは、滞在場所を表す言葉で、旅籠・家・客間のいずれかを指す。しかし、なんたらギリシャ語大辞典には、旅籠の意味となる例文はこのルカによる福音書以外に無いという。
更に、ルカによる福音書には別の個所に使われてるとこがあって…
第 22 章
11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
の「部屋」がそうだという。

そんで、このカタリューマと言われる部屋がどういうモノかという話になって、現在でも使用されている、この地域の一般的な住居の図を示された。
その住居は斜面に沿って建っている。というか最下層に天然の洞窟があって、斜面に沿ってその上に生活空間、更にその上に石積みの家屋がある。
一番下の層は家畜のスペースで、次に調理場などを兼ねる居間、最上部に寝室となる最も良い部屋がある。この一番良い部屋がカタリューマというわけだ。
当時も今もパレスチナの人々は妊婦が部屋を貸してくれとやってきたら、本来の住民が野宿することになってもカタリューマを貸すのが当たり前と言う気概があるそうな。
ましてやヨセフはベツレヘムの人間なのだ。邪険にできるはずはない。
しかし、マリアは今日はカタリューマを貸せないと言われた。高齢の地位の高い人がすでに泊っているなどの事情があったんでないかという。
それで、彼らは自分たちの居間を貸した…マリアはイエスを生み、家畜の居るトコから一段上がったトコロに常においてある飼い葉桶を産湯桶につかい、それをベビーベッドとしても使った。ここら辺の行動に不自然な部分はない。
更に、これが正しいのであれば、現在のベツレヘム生誕教会のベツレヘムの星、つまりイエスが生まれた、飼い葉桶のおかれた場所が地下の洞穴にあるという事実にも符合する。

ちょっといい話だと思う。もちろん、何千年も昔に起きた事柄の正確な経緯などは分からないし、ここら辺の経緯が多少食い違っていても信仰上特に困るということもない。
聖書の解説は説教の中でよく行われるが、クリスマスにこういう話をすることもあんましないし、今回は面白い話がきけて良かったと思う。エアコンが効きすぎて腹の調子が悪い…(-_-)

カタリューマを探していたら、クリスマスの説教がありました。ほぼ同じ意味の話ですね。
彼らを愛した無名の人たち
日本キリスト教団徳島北教会 クリスマス主日礼拝 説き明かし
http://ichurch.me/sermon2016/20161225no-name.html


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