ワタクシ的感想を申し上げると、良くぞ今日まで持ち堪えて来たものだ! と言うのが正直な感想です。
もうミイラの様に痩せ、肺炎の影響で鼻に酸素パイプを取り付けての毎日でしたが、「芸と生」への恐るべき執念は、我ら余人の到底及ぶ所では有りません。根性の無い私などはもう疾っくに生きる事を諦めていたでしょう。何ともはや真似の出来ない生き様でした。
芸? 芸はもう非の打ち所のない名人芸でしたねェ。彼の芸には「小三治」とはまた別の粋な香りがして、横浜生まれながら江戸の雰囲気が横溢して居ました。
ですが、江戸には彼に続く芸達者がゴマンと居ますので、江戸落語の将来を心配する事は無用と思います。
歌丸師匠
此処までのご奮闘お疲れ様でした。南無阿弥陀仏、合掌!
と言う様な、哀悼の投稿をすると、上方落語ファンから 「お前は関西に住んで居ながら、江戸の噺家にそれ程肩入れをして如何するんだ!」と非難されるかも知れませんが、そもそも私が落語を聞く趣味に這入ったのは、敗戦直後にラジオから流れて来て居た「江戸落語」がその切っ掛けです。兄頃は、江戸に大勢の花しか居りましたねェ。 金語楼、しん生、金馬、今輔、痴楽、園歌、正蔵、etc,etc, 今はもう故人ばかりですが、「5球スーパーラジオ」等と言う感度の良い受信機で一生懸命聴いたものです。
ご存じの様に、戦中は敵の謀略放送を聴けない様に、非常に感度の悪い「国民型」とか言うラジオしか無かったのです。 本当にあの時代は厭な時代でした。
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