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2018年05月28日02:10

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岡山探訪 第336回 南山城跡(その3)

「南山城」の続編です。
古墳群の山頂尾根から東へ進んでみよう。
山城特有の堅固な防御構造が見学出来る。

・TOP左画像
東側前方の高台は「南山城」の櫓台である。
ここから堀切により遮断されているので、登城路は一旦下る事になる。

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「堀切」
山頂部を目指して堀切の中を登る。

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「切岸」
敵の侵入をはばむため、曲輪周囲を人工的に切り崩している。

・TOP中画像
「竪堀」

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「横矢」
堀を屈曲させているので敵に対して正面と側面から攻撃出来る。

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「櫓台」

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↑(TOP右画像)
「櫓台」から西側を臨むと発掘現場全体が見渡せる。

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「曲輪」(くるわ)

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「土塁」
さらに東側を見ると城郭中心部に高台が構築されている。
ここからかつては海であった酒津、南北に流れる高梁川、西から流れる小田川や街道の山陽道が眼下に見える。
これで、ここがいかに重要地点だった事が理解出来る。

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「高梁川」
前方の東北方向に前回登城した「幸山城」がある。


ところで、築城時期は戦国時代と言われるが、記録に残る文献が残っていないので詳しい事は分かっていないようだ。
しかし、秀吉による備中高松城の水攻め後、秀吉と毛利が和睦し、高梁川の東西で境界を設定した事から、この「南山城」が地理的に毛利軍の勢力内であり、有事の際の最前線基地として機能を果たしていたと思われる。

つづく
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