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2018年03月16日00:57

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山陰遠征−40/尾高城跡

米子観光ネタの続編です。
次の行先は・・・やはり、城跡を探訪したい。
そこで選んだ行先は大山(だいせん)の麓付近に整備された「米子勤労福祉センター」で、ここは「尾高城跡」に建設されている。

かつて、「尾高城」は東西交通路を抑える西伯耆の軍事上の中心地であった。
城郭は鎌倉時代から築かれ、室町時代は山名氏支配下の行松氏、尼子氏が進出すると吉田氏が城主となっている。
その後、戦国時代において毛利氏支配になると杉原盛重が城主であった。

・TOP左画像
「尾高城跡」と「シャトーおだか農園」の案内看板
城跡敷地内のすぐそばに駐車できる。

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「杉原盛重居城跡」の石碑
「尾高城」は別名「小鷹泉山城」と呼ばれていた。

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「米子勤労福祉センター案内図」看板
城跡の郭の位置が良く分かる。

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↑(TOP中画像)
「梅園」
城跡の地形を生かして自然に触れ合う憩いの場として梅や桜を植樹している。
現在は梅の花が見頃で多くの見学者が訪れていた。

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「南大首郭」
ここに居館が建てられていたと言われる。

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「方形館跡」
この広場はゲートボール場として利用。

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↑(TOP右画像)
「隅櫓跡」

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「中の丸」
「本丸」と「天神丸」の間に位置する。
丘陵側の三方を空堀で切断し、土塁をめぐらしている。

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「本丸」
この奥の土塁に位置するが木々や雑草に覆われ、残念ながらこれ以上、先に進めなかった。
尚、江戸時代初期は「米子城」築城によって「尾高城」は廃城になっている。

さて、この日の天気は晴天。
ここから“伯耆富士”と呼ばれる美しい大山が堪能出来る。
すごく得した気分になった。

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つづく
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