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2018年03月10日09:12

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保津川下り #船旅へのいざないシリーズ

今回の「船旅へのいざないシリーズ」は趣向を変えて、保津川下りのご紹介をします。

写真は保津川遊船企業組合のサイト https://www.hozugawakudari.jp/about より。



淀川の支川である桂川はその源を丹波高原佐々里峠に発し、亀岡盆地、保津峡を抜け嵐山にて京都盆地へ流れ込み、京都府・大阪府境付近で宇治川、木津川と共に淀川へと合流する幹川流路延長114kmの一級河川です。

一級河川としての起点は、京都市左京区の京都バス32系統広河原停留所(終点)のすぐそばにあり、京都市右京区(旧北桑田郡京北町)、南丹市(旧船井郡日吉町・園部町・八木町)、亀岡市、京都市右京区と西京区の境を流れていて、正式には全て「桂川」なのですが、旧日吉町より上流は上桂川(かみかつらがわ)、亀岡盆地では大堰川(おおいがわ)、亀岡盆地と京都盆地の間の峡谷部分が保津川(ほづがわ)と、古くから呼びならわされています。



保津川下りは、保津川の水流を利用して下流にある京都・大阪に物資を輸送することにはじまった水運で、歴史は古く京都に都が造営される以前、長岡京に都があった頃から行なわれ、その後京都嵯峨の天竜寺をはじめ臨川寺、大阪城築城、伏見城造営と、保津川の水運を利用して、筏によって遠く上流の丹波から木材が輸送されています。

木材だけでなく、1606(慶長11)年、川大名といわれた京都の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)によって水路が開かれてからは、米・麦・薪炭なども高瀬舟で輸送されるようになりました。

丹波の豊富で質のよい木材・穀類・薪炭は、戦後の1948(昭和23)年頃まで水運によって京都に運ばれていましたが、山陰線の開通(1899・明治32年)により、また戦後のトラック輸送の発達によって、筏と荷船による水運利用は次第に姿を消していきました。

ところが保津川峡谷の自然美は四季を通じてすばらしく、巨岩をはじめ、囲繞する山々と、しぶきをあげて落流する水、神秘をたたえた鏡のような渕など、変化に富んだ景観を活かし、1895(明治28年)頃つまり鉄道がまだ工事中だった時から、遊船として観光客を乗せた川下りがはじまっていますので、明治の人達の先見の明には驚くばかりです。

筏や荷船が姿を消した今では、専らこの観光の舟下りになっています。

亀岡から嵯峨まで16kmに及ぶ保津川下りは、無動力船による航路では国内最長で、近年は世界的にも有名になり、年間約30万の観光客が訪れ、四季それぞれの自然美とスリルを満喫しています。

昔は船頭さんが歩いて船を曳き、亀岡へ戻していたようですが、今では船はトラックに積み重ねて運び、船頭さんは電車で戻っています。



今年(2018)は、昨日3月9日(金)まではお座敷暖房船でしたが、今日3月10日(土)から(土)から通常の船(オープン船)での定期運航が始まっています。

定期乗合船の2018年3月10日〜11月30日の出船時刻は、月〜金が9:00・10:00・11:00・12:00・13:00・14:00・15:30、土・日・祝日は不定期運航で15:30最終船で、所要時間は水量により変わり、早いと90分くらい、遅くて120分くらいです。



定期乗合船の旅客定員は24名ですが水量により減員になることがあり、1便に複数の船が出たりたり、臨時が出たりすることもあります。

料金は、大人4100円、こども(4歳〜少額6年生)2700円です。

貸切船は、旅客定員17名で、料金は1隻8万2000円です。



京都府亀岡市保津町下中島2にある保津川下りの乗船場へは、

JR嵯峨野(山陰)線「亀岡(かめおか)」駅北口〜北へ徒歩約8分。

阪急電車「桂(かつら)」駅東口2番のりば〜京阪京都交通(路線バス)2系統に乗り、「保津川乗船場前(ほづがわじょうせんじょうまえ)」停留所(終点)下車すぐ。

嵯峨野観光鉄道「トロッコ亀岡(とろっこかめおか)」駅からはトロッコ列車の到着に合わせて連絡バス(有料)が出ています。

無料駐車場は乗船場に100台分あり、回送サービスはやっていませんが、夜まで停めておけるので、下船後観光してから電車で戻ってくることは可能です。

なお、着船場は嵐山の渡月橋の上流徒歩5分くらいのところです。



保津川下りホームページ保津川遊船企業組合→https://www.hozugawakudari.jp/
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