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2018年02月07日07:53

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社員旅行

年齢を重ねていくと(という実年齢なのかは別として)若い頃鼻についていたり、めんどくせえなあ、などと思っていたことの価値というのがなんとなくわかってきたりする。それが成長していることなのか退化なのかというのはわからんが日常に散見される細か事象が生きる滋養に変えられる仕組みというのも悪くない。そうやって究極のひとりである死にいたるまで、自分自身、己で完結し内燃機をもやしていくオペレーションをまなんでいくのだろう。話はもどるが価値がわかる、で最近よさがわかったのが社員旅行。

失われたウン十年のど真ん中で就職していた当時、そいつのお陰でこんな不景気になったというと年配連中とバスにのり、そんなことしてるからこんな世の中になったんだというバブリーな話を聞かされる。酒を注ぐこと、酒を飲むことを強要され、なるほどお金と景気というのは人間をこんなにダメに浮かれさせるのだ、というレクチャーを受けいるような時間。それでもよくある社員旅行の行き先としてはの温泉は大好物だったので、若い連中のなかでもわりと「行きたい派」だった。そのうち景気がさらに悪くなり、場末の会社もこんなことしてちゃいけないとようやくわかってきたのか、社員旅行は中止になり、なぜか日帰り宴会になり、そのうち消滅した。

企業の内部留保がとてつもなくなり、従業者への分配をそくす雰囲気。また人手不足で分かり安いインセンティブをぶら下げなければヒトが集まらない、ないし逃げられる、ということで復活した社員旅行。何年前かからいっているのだが、毎年参加している。入社したての頃に比べると楽だ。あいかわらずセルフバブリーな話を垂れ流す人々はいるもものの、我関せずで離れたーシートで爆睡していればよいし、飲酒を強要されることもない。日中回るのはベタな観光地。旅行好きの自分としてはそれらのいつかは過去にいったことがあるのだが、それはそれとして行けば楽しい。

他節分、立春。そこでなんらかなの楽しいことがある訳でもなく、時節を知ることで無駄に流れてしまった時間にふがいない思いを勃興させたりもするのだが、まあ、それは節目にかぎらないこと。そのサッドな気持ちが心地よいというわけでもないのだが、それはそれでガソリンになっている気もする。

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