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2017年12月07日20:34

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バレー・オペラ・歌舞伎は陳腐

 バレー・オペラ・歌舞伎はつまらない。 芸術には " 意外性、驚き " が必要、これには皆賛成でしょう、というより そうでなければ芸術ではない。若い頃から何度もバレーやその他の舞踏を優れた芸術として好きになろうと努めたが、結局つまらないものだという結論になった。身体表現の芸術と言うからには身体を使った意外性がなければならない。ところが ひらひら手を振ったり脚を上げたり、その組み合わせを 空中でやったりしてるだけで、びっくりするところがなにもない。例えば頭の真ん中から手のひらを突き出したり、腹の中央からにょっきりと脚を伸ばしたり、体を曲げて知恵の輪をつくったりしたら 驚くだろうけれど そういうものが一切ない。 バレーの身体表現は陳腐である。西洋バレーにかぎらず日本舞踊もたいしたことはない。袖を上げて振り向いたりしてるけど どこに意外性があるのだろう。要するに芸術というにはほど遠い。もう一度言おう、  " 陳腐 " である。
「腹から脚など無理を言ってはいけない」と言うかもしれないが、あのブニュエルの名画:哀しみのトリスターナの始まりに 鳴り響く鐘楼に " 男性権威そのもののような男の頭部 " が吊られてゴーンゴーンと前後に揺れている場面を思い出してほしい。この5分ほどで映画の前編をすべて表している。ブニュエルの映画にはこういった象徴と意外性=芸術がいっぱい盛られている。
同じようにオペラ・歌舞伎にもなんの意外性もない。仙台萩の鼠忍者・原田甲斐の早変わりとか 千本桜の弁慶が六方を踏んで花道から出て行くところくらい。歌舞伎にくらべて人形浄瑠璃、文楽は芸術だと思う。あのツルツル白デコの木偶が出てくるだけでかなり意外性があり うれしくなる.そうだ、京劇はいい。ものすごい形相に隈取りして背中に旗指物をいっぱい突き刺して登場する、あの表現には仰天する。
私は年一回くらい歌舞伎に行くがもっぱら 三味線と浄瑠璃を音楽として聞くために行っている。音楽としての歌舞伎は優れている。もちろん京劇の あの鍋の蓋をたたくような音もすばらしい。
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