どんな人にも、命あるものに必ず訪れる死。
決して避けて通ることはできない。
ならば、とことん追求しようと思った。
心の底から渇望した真理への探究心が私を突き動かした。
面白いもので、求めたものは手に入るように出来ている。
それは、神様にオーダーを出すからだ。神様はオーダーしないものは絶対に与えない。
裏を返せば、欲しいものがあればオーダーを出すに限る。
いつ届くかはわからないが、必ず届けてくれる。
なぜすぐに届かないのか?
なぜなら、それは以前出したオーダーが今出てきているからだ。
だからタイムラグが生じる。
このことを理解していない人は、なぁーんだ、神様に祈っても叶わないじゃん!と、オーダーが届く前に諦めてしまう。
オーダーは具体的であるほど効果がある。
いつまでに、何を、どうしたいのか、真剣にオーダーを出すことである。
そうすれば望みは叶うでしょう。
事実、私は人が死んだらどうなるのか、どうしても知りたいとオーダーを出した。
中途半端な気持ちではない、心底そう思ったのだ。
結果、望みは叶えられた。
勿体ぶらずに述べよう、死後の世界はズバリある、これが答え。
どうしてそんなことが断言できるのか?
科学的にも検証されているからだ。
妄想などではない、れっきとした事実である。
証拠を見せろという方は、これまで散々出されてきた証拠を検証すらしていない方ともいえる。
もうすでに沢山の証拠が出ているのである。
その上で、死後の世界はどういうものなのだろうといった疑問にお答えしたい。
死後の世界は、まず亡くなってすぐに行く幽界、そこで十分に慣れたら次に行くことになる霊界がある。
幽界は、思うことが何でも叶う世界、俗にいうサマーランド。
肉体を脱ぎ捨て、霊体となったことで、大きく世界は変わる。
まず、眠る必要がない。そもそも幽界には夜というものがない。物質をまとっていないため、身体が疲れるということもない。
そして飲食の必要もない。もっとも、いまだ地上臭が抜けきらずに、飲食の欲求がある場合、好きなだけ食べることができる。
何でも望みが叶うのだ。
お金が欲しい人は、好きなだけ手に入れることができます。しかし、やがてそんなものは何の価値もないことに気づきます。
飽きがきます、遅かれ早かれ。
そして、あらゆる欲望をそぎ落とした後、ようやく本来の住処である霊界に進むことになります。
一部の方は、幽界を通らずに直接霊界に行くそうです。生前から霊的真理をしっかり受け入れていて、利己的な欲望がない方などです。
いよいよ霊界に行くと、そこは厳然たる差別界であり、いくつもの階層に分かれていて、自分と同じ霊格のもの同士が一緒に生活を送ることになります。
そこでさらに霊格を上げていくと、一段上の階層へ行き、さらにまた一段一段と上がっていきます。
基本的に上の階層のものは下の階層に行けますが、下の階層から上に行くことはできません。
霊格は下がることもあります。霊界でも利己的になると霊格が下がります。
他の人とのコミュニケーションはテレパシーで行います。
考えていることが瞬時に相手に伝わるのです。
ですから、隠し事や嘘は通用しません。
逆に言えば、騙すことや裏切ることなどは皆無です。
地上などとは比較にならないほどの高い親和性を持ったもの同士が集まっています。人種、国籍、肌の色などは様々です。これほどまでに自分と似たものがいるのか!というくらいです。
下の階層では20人ほど、上の階層になると百、千のものが集まり集団を形成しています。
移動は思いのままです。念じただけであっという間に行けます。もちろん、歩いても行けますし、空を飛んでいくこともできます。
霊界では各自能力に見合った仕事が与えられます。
仕事といってもお金のためにするのではありません。
人のためにしたいと自ら志願しているのです。
安心してください、自分に合わない仕事は回ってきません。やりたいことができます。
そして、もう一度地上に再生してやり直したいと思うものは、再び地上に生を亨けることになります。
やがて再生を必要としなくなるときが訪れます。
そこが当面の目標でしょうか。
しかし、完全には辿りつきません。
その道は永遠です。
階段を一段上がると、その上にまた一段さらに上の階層が控えています。
その過程は気の遠くなるような時間です。
そう考えると一度の人生などほんの一瞬です。
この一瞬の中で、魂を磨き、鍛錬して、その経験をグループソウルに持ち帰って共有するのです。
今地上に生きている我々一人ひとりが、それぞれのグループソウル、すなわち類魂の代表者なのです。
時に傷つけたり、逆に傷つけられたりしながら切磋琢磨していくのです。
この世の素晴らしいところは、様々な階層の人たちに出会えるということです。
だからこそ刺激的なのです。
楽しいことばかりじゃない、苦しいことも多いと思います。
それを乗り越えたときの幸せといったら、言葉では言い表せません。とてもじゃないけど無理です。
全員がもれなく行けます。絶対にです。
死とは喜ぶべきものなのです。
私は死が待ち遠しくてたまりません。
こう言うと誤解なさる方がいらっしゃるかもしれませんが、私は自殺を勧めているのではありません。
私が訴えたいことは、この今という一瞬を全力で生き切ってほしいということです。
二度と帰りません、一度きりです。
悔いだけは残らないようにしましょう。
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