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2017年04月05日18:47

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カラヤンと宇野功芳

今日4月5日はカラヤンの生誕日なので、カラヤンについて何か書きたいと思う。
今、カラヤン・ウィーンフィルによるの新世界交響曲を聴いている。

昔(1968年頃)、EMIの企画で「運命」「未完成」「田園」「悲愴」「新世界」を五大交響曲と称し、一枚のLPにカラヤンの演奏で2曲ずつ入れたレコードが発売された。当時中学生だった僕は、お年玉を叩いて「運命・未完成」の組み合わせと、「悲愴・新世界」の組み合わせを買った。

「運命・未完成」はフィルハーモニアOによるモノラル録音で、当時既にDGからベルリンフィルによるステレオ録音が発売されていたのを後で知り、「しまった、こちらを買うのだった」と随分悔やんだ。しかし、こちらの演奏も好きになり、レコード溝がすり切れるほど聴いた。

「悲愴・新世界」の方は初期のステレオ録音だった。買った時は、長時間録音で得をしたと思ったが、LP一枚にこの2曲はやはりカッテイングに無理があり、不良品か?と思う程音が悪かった。

悲愴交響曲の第一楽章展開部開始前の休止の箇所に、既にLP一周後の全合奏エコーは入っており、しらけてしまった。まあ、この2曲一枚での組み合わせはCDでも聞いたことがないので、無理といえば無理であった。貧乏人の銭失いとはこのことである。

今、聴いているのは、ウィーンフィルによる演奏だが、デジタル録音のDG盤CDである。実に豪華で素晴らしい録音・演奏だ。

カラヤンの演奏を例えて言うならば、高級レストランで超一流のシェフが最高の食材を使い、万人の口に合う料理を精魂傾けて作るようなもので、それを食する楽しみである。

こうゆう演奏を聴くと、宇野功芳氏をはじめとする著名な評論家先生方がカラヤンをボロクソに貶したのは、極めて奥が深い見識と配慮で、「さすがはプロの先生」と感心せざるを得ない。これは冗談でもジョークでもない。

そこのところをもう少し詳しく敷衍してみよう。

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商品の売れ行きを左右する要素は、製品(Product),販促(Promotion),販売場所(Place)そして価格(Price)の4つであり、これは俗にマーケットの4Pと言われている。

殆どのメーカーはこの4Pをいじることによって、最大の利益と売り上げを達成しようとする。これがマーケット戦略の原則である。

しかし、音楽(CD・レコード)マーケットは、新譜価格はどの商品もほぼ同じ、販売場所もほぼ同じ、なので製品固有の価値と販促が重要となる。

特にクラシック音楽の場合は製品固有の価値と言っても、元の音楽が決まっているので、後は演奏技術の競争となる。

そうであれば、優れた指揮者とオーケストラを使って、演奏と録音そのものに物量とコストをかけ、大多数の愛好家が好む様な音楽に仕上げた方が商品価値が高くなり、販促もやり易い。

例えばカラヤンとベルリンフィルによる演奏は、このマーケット戦略の申し子のような商品だ。これを自動車業界に例えるなら、ベンツの最高級車を他の一般大衆車と同価格で売っているようなものだ。

自動車は生産台数を増やせばそれなりのコストがかかるが、CDのランニングコストは極めて安く、売れば売れるほど儲かるのだ。つまり、普通に競争したのでは勝負にならない。

このようにクラシック音楽業界は何か特別な対策を施さなければ、寡占もしくは独占状態に陥ってしまい易いマーケットである。

しかもそうなることは音楽業界にとっても、ユーザーにとっても決して好ましいことではない、むしろ悪というか、弊害の大きさは計り知れない。

この、のっぴきならぬ構造的矛盾に敢然と立ち向かったのが宇野功芳氏であり、クラシック音楽愛好家の良識、感受性、屈折性、判官びいき等がそれを助けた。

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皮肉っぽく聞こえたかも知れませんが、実はわざと皮肉っぽく書いてみたのです。(笑)

もちろん、宇野功芳氏の音楽批評の意図は、ここにあるの訳では無く音楽・演奏そのものにあることは自明です。氏の論旨には筋が通っていて決してぶれることは無かった。僕も氏の本で多くの示唆や感銘を受けた。

しかし、それは収入に対してLPの価格が高かった時代、すなわち一曲に対して一枚しか買う余裕がなく、決定盤が求められた時代の話ではなかろうか?

今のように昔のLP一枚分の代金でCDの全集盤が買えるような時代では、楽曲の曲想そのものにそれほどこだわる必要もなく、いろいろな演奏を聴いて自分の中でその曲の形を自ら立体的に構成するほうがよいのではないかと思う。

ともかく、宇野功芳氏らの批評は、計らずも本人の意図とは別に、往年のクラシック・レコード(CD)マーケットの正常性を保ち、演奏技術もしくは鑑賞技術の多様性と奥深さをリスナーに知らしめ、クラシック音楽鑑賞の普及に貢献されたことはまぎれもない事実であろう。


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