南アルプス南部の光岳(2592m)へ登ってきた。
5月17日(水)
16時、名古屋を出発。
南信州、遠山郷に着く。
国道152号線の大島というバス停から林道に入る。
最後の民家から道は細くなり、未舗装の地道になる。
凸凹道を2キロほどで登山口に到着。
20時過ぎだ。
車の中で酒を飲み車中泊。
5月18日(木)
5時30分、出発。
登山口の標高は1060メートルだ。
樹林帯の登山道を歩く。
緩やかでそれなりに整備された道だ。
歩いていると道標が木の幹などに貼り付けてある。
数字と現在地の名前が書いてある。
数字は登山口が1番、池口岳の頂上が30番になっている。
だんだん数字が増えていくのを励みにして登っていく。
登りの斜面と平坦な原、それに少しの下りが交互に現れる。
疲れることはないけど高度を稼げない。
途中で大きな崩落地が三つあった。
黒薙、ザラナギ、あと一つはわからないけど、なかなかの迫力だった。
やがて斜面が急になり岩場になる。
フィックスロープが張ってある所が二箇所あった。
難しくはないけど宿泊用のフル装備を背負っているから登りにくい。
11時過ぎ、分岐点に着いた。
池口岳へ登る道と加加森山から光岳へ行く縦走路が分かれている。
ここまで予想以上に時間がかかった。
疲れてきたし、池口岳は帰りに登ることにして光岳方面へ行くことにした。
ここから急に道が悪くなる。
池口岳から光岳のあいだは整備されずに放ったらかしになっているようだ。
しかも高度が上がってきたので積雪が出てきた。
雪を踏みながら急斜面を下りたり登ったり。
狭い尾根の上なら道を間違うことはない。
でも広い複雑な地形のところにくると迷ってしまう。
雪には人の足跡が少し残っている。
地肌が露出したところは、探すとなんとなく踏み跡がある。
それらを見つけながら進んでいく。
14時、そうやって歩いているうちに加加森山(2419m)の頂上に来てしまった。
展望のない尾根の末端のようなところだ。
ここはルートから外れている。
どうせ加加森山には登るつもりだったから良いけど、正しい縦走路へ戻らなければ。
来た道を忠実に引き返す。
キョロキョロと見回していたら、ちゃんとした看板があった。
光岳を示す矢印の方へ歩いて行く。
15時30分、尾根伝いに歩いてきたけど、その尾根が分岐しているところに来た。
多くの人が間違った方へ行ってしまうそうだ。
木の幹にペンキで矢印などが書いてある。
正しい方へ誘導してくれているのだ。
だから注意しながら歩いていたのに、やっぱり間違った尾根の方に下りていってしまった。
どうもおかしいと思った。
GPSで現在地を確認する。
訂正のため登り返す。
正しい降り口は、かなりの急斜面だった。
とても登山道があると思えない。
雪がなければ、もっと分かりやすいのだろうか。
適当に樹林のあいだをぬって斜面を滑るように降りていく。
平地のようなところに着いたらトレースや赤テープがあった。
17時を過ぎた。
大きな窪地のようなところを抜ける。
光岳が大きく見えてきた。
本峰に取り付く急斜面になった。
ここからは道がない。
雪の踏み跡もない。
自分の判断で登りやすそうなところを行く。
標高差100メートルぐらいを雪と格闘しながら登っていく。
やがて斜面は少しずつ緩やかになり、踏み跡も出てきた。
狭い岩稜になった。
頂上は近いはずだ。
だけど岩をいくつ越えても到着しない。
あれが頂上かと思って登ってみると、まだ次の岩がある。
こういう山は疲れる。
とくにここは大変だった。
それでも根気よく登るうち、展望台のようなところに着いた。
御料局三角点のある頂上だった。
戦前に宮内省が建てた三角点だ。
曇っていて景色は見えない。
そこから20メートルほどが国土地理院の三角点がある頂上だった。
18時10分、登頂する。
「光岳」と書かれた標識が二つ向き合っている。
その真ん中の雪の下に三角点があるようだ。
あたりは樹林に囲まれている。
展望もきかないし、日暮れが近い。
そそくさと写真を撮り、先を急ぐ。
いただきの向こうへ下りていく。
雪がなければ広い登山道があるのだろう。
この春山状態では道が隠れて、どこを行ったら良いのかさっぱりわからない。
うろうろしていて、やっと踏み跡を見つけ、それを追っていく。
18時25分、突然に小屋が見えた。
日暮れの30分前だった。
今日の行動時間は13時間。
ひさしぶりによく歩いた。
小屋の隣では水が流ていた。
雪を溶かして水を作る手間がない。
よかった。
中に入ると誰もいない。
まあ、あたりまえだけど。
新しくてきれいな小屋だ。
独占して広く使うことができた。
食事を作り、酒を飲み、安心して眠る。
5月19日(金)
夜明け前に起きるつもりが寝過ごしてしまった。
単独登山だとこういうときに困る。
出発したのが5時30分。
昨日と違って雲一つない晴天に朝日が輝いている。
イザルガ岳などの南アルプスの山並み、その向こうには富士山が見えた。
気温は低い。
昨日の水場へ行ったら凍っていた。
ちなみに、この日は名古屋で30度を超えていたそうだ。
信じられん。
カチカチになった雪の道を戻る。
昨日自分がつけた踏み跡を辿っていく。
もう一度頂上に着いた。
今度はきれいに景色が見えた。
塩見岳や聖岳などヒマラヤのような景色だ。
本峰からの急な下りはアイゼンを着ける。
念のために持ってきてよかった。
平坦な斜面になった。
自分の足跡を追っていく。
だから迷うはずがないと考えていた。
でも、往路ではなるべく雪を踏まないように地肌が出ているところを選んで歩いてきた。
だから足跡を追っていても途中で途切れてしまう。
また見つけるのに苦労する。
昨日の自分の行動を罵倒しながら歩いて行く。
下山途中でとんでもない倒木帯があった。
壮絶な風景だ。
登っているときにこんなとこ気付かなかった。
10時15分、なんとか池口岳との分岐点まで戻ってきた。
疲れているけど池口岳(2392m)まで登ることにした。
15分ほどで登頂した。
頂上に二人の人がいて驚いた。
ここまでは普通の登山者が登ってくるのだ。
二日ぶりに人と話すことができて嬉しかった。
池口岳から先は雪もない。
長い距離だけど我慢して歩いて行く。
登山口に戻ったのはちょうど15時だった。
車の中に置いてあるお茶を飲んでパンを食べた。
車に乗り林道を降りる。
未舗装から舗装路に変わるところ、最初の民家の前で駐車した。
遠山要さんが住んでいた家だ。
池口岳から光岳までの山の中は「原生自然環境保全地域」に指定されている。
国有林でもあり、人の手をいっさい加えてはいけない。
だけど遠山要さんは一人で登山道を作った。
環境省が止めるのを無視して。
遠山さんは平成十三年に76歳でお亡くなりになった。
それ以来登山道は整備されることなく荒れるばかり。
もう何年かすると廃道になるだろう。
家の奥に遠山さんのお墓がある。
光岳に登れたお礼に墓参りをした。
墓碑の戒名を見て感動した。
「愛山要道居士」
かっけーなあ、自分もこんな戒名を付けてほしいぞ。
その後は遠山温泉郷かぐらの湯で入浴と食事。
道の駅新野千石平で車中泊。
5月20(土)、5月21日(日)
下伊那郡の友人宅で山仲間が集まり山菜採りと宴会。
車中泊したところからすぐ近くだ。
年中行事なので、とくに書くことがらはない。
お互いの欠点や悪口をバカ話のネタにしながら酒を飲むことができる友人がいるのは、じつは貴重で素晴らしいことだと思う今日このごろ。
(長くなったけど、これで終わり)
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