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2017年05月01日08:10

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寝倒す

続けば長いGWを分断する2連出勤日。まあ繋いで9連休というのも、休んでいる間だは愉快だろうが、10日目に出勤せねばならない朝というのが辛そうだ。代休がかなり貯まっているので、繋げてしまってもよかったのだが、止めた。どうしても周りに負い目を感じてしまう、というのもあるが、実のところ、さらに2日休んだとして、2日分でやりたいこと、というのが浮かばない。

休みというののだから、純然タル休息ということで、寝倒す、という手もある。が、普段の生活が充実していないからか、その手の過ごし方は なぜか後ろめたく感じる。自分が寝たからといって、ダレかの休みが簒奪されるという訳でもないのだが、なんだか悪いコトをしている気になる。登り調子な景気の世の中で、イケイケどんんどんな大人達に煽られながら大きくなった子供達のトラウマとでもいうべきだろうか。凄惨なテスト競争にさらされ、そのある意味大人の作業を楽にするため、ある意味投げやり的に導入された、数値化できる価値感でレベル分けするシステムで、ストレスに耐えうるようにしこまれた「やればできる」というフレーズに未だに脅されているからだろうか。それら呪縛から解放され寝てスゴしたいものだ。

ちなみに、憲法記念日−子供の日は予定が入っているのだが6・7日は未定。おそらく、することが無くなってしまったときの常套手段「健康のためと称してあたりを散歩する」…ことになるだろう。もしくは朝から本屋or図書館に入り浸りなんとなく、店舗や館内で時間を潰す。如何にも文化的なフレグランスが漂うが、それも言い訳を周到にするための、修飾だったりする。ヒトと比べてしまう、つまらん軋轢から、いい加減こんな年齢になったので、絡め獲られることはなくなったが、それでもまだまだ、ガキの頃仕込まれた、足かせというのを外せずにいる。言うまでもないことだが、もう立派な大人なので、外せない自分が悪いということだが。

「やればできる」といわれると、子供は逃げられなくなる。できなければその責任は他でなく自分自身に100%帰結する。そんな訳はないだろう、なぜなら、ヒトの能力というのは決して同じではない。それにいい加減気づいて居るはずなのだが、逃れられない。そうやってボヤいている方が楽だからなのかも知れない。

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