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2017年04月26日06:53

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新解 如来神力品第二十一−17(P558)

 ところが、迹門の教えにおいて、この世の中はこういう成り立ちになっている、人間とはこういうものだ、だからこういう生きかたをしなければならない、そして人間どうしの関係はこうなければならない・・・ということを一つ一つ教えられて、結局はそういうものごと一切をつらぬく真理に従うこと、すなわち「三法印」、「十二因縁」の法門を悟り、それに即して「四諦」、「八正道」、「六波羅蜜」を行ずるのが正しい生きかたであることが解ってきた・・・これが、足し算の段階です。
 それがわかったところで、いよいよギリギリの真実すなわち、われわれすべてを生かしているのは不生不滅の久遠の本仏である・・・ということを明かされると、われわれの胸には「そうだ、その仏と一体になることができれば、ひとりでに真理のままの生きかたができるのだ、それがほんとうの救いなのだ」ということが、パッとひらめいてくるのです。
 ですから、「法華経」の前半で説かれた「方便」の教えも、後半で説かれた「真実」の教えも、どちらも真理であることに変わりはなく、それは結局一つの救いへ帰着するものだという意味で「ニ門同一」というのであり、諸仏が一時に謦欬(きょうがい)されたということには、こういう意味が表されているのです。


昨日は上の娘と、奥さんと、焼肉に行きました。
その後、カラオケに行って
帰って風呂に入って寝ました。
わっはっは
今日は特に何もない日で、
明日明後日は、職長、安全責任者教育というのが、
東洋紡の体育館であるので、それに参加します。
本来その教育を受けてなくてはいけないものだとか・・・
わっはっは
ってな感じの
水曜日です。
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