9月3日(土)
茅ヶ岳(1704m)に登った。
101番目の日本百名山と呼ばれている。
百名山の選定者である深田久弥が登山中に死んだ山だから。
韮崎市郊外の県道脇に駐車場がある。
6時30分、ここに車を停めて出発。
100メートルほど奥に「深田記念公園」がある。
深田久弥を記念して作った。
公園といっても、森のなかの小さな広場だ。
石碑と説明板があるだけ。
公園から登山口になっている。
最初は緩い斜面を歩いて行く。
途中で県道に出て横断する。
1時間ほどで女岩というところに着いた。
鬱蒼とした森のなかの枯れ沢だ。
そこから斜面が急になる。
つづら折れの道を登っていく。
たぶん標高差300メートルぐらいだろう。
単調な景色に飽きてきたとき、稜線に出た。
尾根道を少し登ると「深田久弥先生終焉之地」という石碑があった。
1971年3月、深田久弥が脳出血で倒れて死んだ場所だ。
今回は山登りよりも、この石碑を見に来た。
記念碑には、たくさんお捧げ物が置いてある。
お花、お酒、飴玉、お賽銭。
多くの登山者に敬愛されているのだ。
深田久弥というのは、じつはとんでもない奴だった。
身体障害者の奥さんに小説を書かせ、自分の作品だと偽って発表した。
奥さんの執筆中はやることがないから、別の女性と不倫をして子供まで孕ませる。
怒った奥さんは離婚を申し立て、代作の事実を公表する。
深田は文壇から追い出され、趣味の山登りに熱中する。
山男、山ガールにとっては不倫も代作も関係のないこと。
歓迎されて活躍するうちに「日本百名山」を書いた。
いまでは「日本百名山」は皇太子のいちばんの愛読書になり、文庫本、電子書籍が発行されている。
奥さんや同時代作家の作品が、ことごとく忘れ去られていくのに、深田久弥は永遠のロングセラー作家になってしまった。
一発大逆転人生の深田さんに敬意を評し、わたしもしばらく手を合わせた。
稜線を20分ほど登って行くと、突然視界が開けた。
8時30分、茅ヶ岳の頂上だ。
南アルプス、秩父山脈が見渡せる。
正面にもう一つ山がある。
金ヶ岳(1745m)だ。
往復で1時間ぐらいのようだから、ここも登ってみた。
50メートルほど下がり、100メートル登るだけだ。
頂上は木が茂り、あまり展望がない。
また登った道を戻る。
もう一度、茅ヶ岳の頂上に行ったらたくさんの登山者がいた。
やはり人気の山なのだ。
下山は往路をそのまま戻る。
12時ちょっと前に駐車場に着いた。
韮崎の市街へ行く。
温浴施設「ゆ〜ぷるにらさき」でお風呂に入る。
ここから茅ヶ岳、金ヶ岳を見上げることができた。
けっこう大きな山に登ったんだな。
ゆっくりと車を走らせ、 北杜市へ向かう。
清里高原へ来た。
山の中のリゾート地だ。
レストラン、ホテルなどが立ち並ぶ道路を抜けていく。
別荘地・清里の森の入り口に来た。
「田中治彦モダンアート美術館」に着いた。
田中治彦の個人美術館だ。
この人はいちおうジュエリーアーティストということになっている。
でもその作品の素材は手当たりしだい。
宝石のほかに、空き缶、海綿、石ころ、パンなど。
田中治彦さんは美大などに行っていない。
自動車工場や歯科医院に勤めて、技術や感性を身に着けた人だ。
若いころは公募展に応募しても「作品のジャンルがない」と追い返されていたそうだ。
作品は蠱惑的な雰囲気なのが多いけど、そのときどきの自由な発想で制作をしているような気がする。
とにかく独自な人なのだ。
広い庭園の真ん中に美術館があった。
庭で上品な女性が柴犬を散歩させていた。
田中治彦さんの奥さんで、館長さんだ。
「お待ち下さい、いま鍵を開けます」
などと性風俗博物館のおにーちゃんのようなことを言う。
清里の外れに現代アート作家を見に来る人は少ないのだろうか。
ひとりきりで、ゆっくり鑑賞した。
この美術館は写真撮影が自由だ。
全展示作品を撮影した。
絵葉書も5枚も買ってしまった。
奥さんと会話をする。
「名古屋から来たんですが、以前写真で作品を拝見して気になってました。やっと実物が見られて感動してます!」
なんかすごく喜ばれてしまった。
来年の夏にはホールでコンサートがあるそうだ。
また行ってみよう。
八ヶ岳高原道路を下り、長野県へ。
あとはいつもの道を走って国道19号から愛知へ帰った。
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