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2016年07月31日02:54

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24時間テレビと差別

昨日のこと、辛坊治郎のそこまで言うかを聞いていたら
相模原で起こった殺人事件のことに触れていた。

この犯行自体は弱者を狙った卑劣なものなのだが
実はこの事件は障害者への差別意識みたいなものが
爆発したものではないのかということだった。

まず、今回の事件で犠牲者の名前は公表されていない。
これは神奈川県警が遺族側と競技した上で非公開としたそうなのだが
これが海外などの場合はほとんど公開するのが原則なのである。

例にとるとアメリカなんかでは障害者が殺されたから
名前を非公開にするということ自体が差別であるという認識なのである。
それを鑑みると、たとえ遺族の願いであったとしても公開するのが原則なのだ。

日本の場合遺族が名前を隠したがるのは
実は日本の中に未だに根強く障害を持つ者が家族にいるという
ことを世の中に公にしたくないという恥のようなものがあるのではないかということだ。

昔の日本では家族に障害のあるものが生まれると
その子供はいないものとされ、家族から抹消された。
障害のあるものが家族にいると、他の家族の縁談や就職に
非常に大きな影響があったからだ。

時代は進み、障害者の地位や権利が確立され
形の上では障害を持つ人々を差別せず、社会の一員として
ともに暮らしていこうという建前にはなっている。
しかしながら、今でも家族に障害者がいること、さらにその子供を
障害者施設に預けてほとんど一緒に生活していない親御さんなど
の多くは後ろめたさのようなものを感じている。
よって今回の被害者の遺族たちは名前を非公開にするという選択を選んだのだ。
こうした無意識のうちに行ってしまう差別というものが
誤った形で出てきたのが今回の事件の犯人ではないかと思うのだ。
彼の主張はこの矛盾をついている。

とすると、某テレビ局の24時間テレビという企画も
もしかすると、障害者を差別していることになりはしないか。
障害のある人だけを取り上げ、彼らが健常者並に泳いだり、走ったりできた
姿に涙させ感動させるように仕向けている。
彼らは健常者である我々に賞賛され、涙されることを望んでいるのだろうか。
こうした演出は裏を返せば、健常者目線から見た差別ではないだろうか。
そもそも年に1回だけ障害者を取り上げる番組を放送するっていう
スタンスもなんだか違うような気がする。
それなら週に何回かは障害のある人の番組を放送しないといけない。
それができないのに、思い出したように彼らをピックアップして
特別視しろというのはやはり無意識のうちに行われている差別としか思えない。

障害のある人達を同じ人間として向き合い
助け合いながら生きていくという道は
言葉で言うのは簡単だが非常に難しいもののようだ。


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