mixiユーザー(id:51444815)

2016年07月23日23:37

219 view

平安五神伝本編二作目 発つ鳥跡を濁す 序章


真夏の日付も変わろうかという頃合い、賀茂保栄(かものやすよし)は自室で安らかな寝息を立てていた。彼の几帳面な性格を表すように、夏の暑さの中でも薄手の内掛けを仰向けの体にかけての就寝だ。
彼の部屋の縁側方面で白い御簾(みす)が風に揺れる。軽くはためく御簾の向こうに、突如小さな黒い影が降り立った。
風に煽られた生地を避けるようにして部屋へ侵入してきたのは一匹の黄緑色の蟷螂(かまきり)・・・手のひら半分ほどの小さな来客であった。
庭先から迷い込んだのであろう客人は、しかし条件反射の連続と思えない明確さで部屋を直進していく。鎌の手以外の4本の足で支えられた虫の身体は音一つたてることなく床を進み、遂に家主の枕元にまでやってくる。寝入る保栄が気付く様子はない。
三角の頭を左右に回しつつ寝顔を眺めていた蟷螂は、相手が完全に意識の無いことを確認して両の鎌を振り上げた。

天井に向けられた鎌が不自然に脈動したと思われたその瞬間、爆発したかのような勢いで膨張する。
瞬き一つの間に、小さな蟷螂の鎌は部屋全体を一刀両断出来そうな大きさの2枚の刃に変貌を遂げていた。前足の付け根から先は毒々しい紫色に変わり、全体が金属質の光沢を帯びている。刃の先の部分はイバラのトゲを生やして伸長させたような無造作ぶりで下向きの刃がいくつも生えている。
異形と化した蟷螂の影が保栄の上に落ちるが、それでも彼が気付く様子はない。虫の顔に同情など浮かぶはずもなく、流れ作業の一端のように速やかに滑らかに・・・振り上げられていた刃の群れは必殺の間合いで振り下ろされた。
高速で落下する刃は・・・しかし突如時が止まったかのように動かなくなる。突き出たトゲの一本は保栄の喉笛に触れんがばかりの位置にあった。あと僅かでも刃が動けば彼の喉は確実に突き破られるだろう。
保栄の安らかな寝息だけが夜気に響く。呼吸音がするという事は時間の流れは正常。ならばなぜ、この蟷螂は攻撃を止めたのか?
よく見ると、止まった鎌は小刻みに震えていた。鎌に力が加えられているのだ。つまり攻撃を止めたのでなく・・・何かが阻んでいる、という事になる。

膠着状態の室内に、突如響く男の声。
「いつか、保栄は不休で一週間働けると言った。確かに若さも耐久力も精神も希望に見合うだけのものを持っている。しかし悲しいかな・・・時に夢殿(ゆめどの)が、お前にそれを許してくれない」
蟷螂が侵入してきた逆側、屋内の御簾が動き夜着姿の男が進み出る。保栄の兄、賀茂忠憲(かものただのり)その人だ。
影の混ざる瞳は、異形の鎌を持つ蟷螂をそこらの羽虫でも見るような無味な眼差しで見つめる。
「高級宿屋『一期一会』の一件で脅された貴族の一人が放った間者・・・といったところかな?蠱毒の一種のようだが、我が家に放り込むには少しお粗末過ぎやしないかい?せっかく斎垣と神垣を止めてまで侵入をゆるしてやったというのに・・・結界の綻びを見つける役にも立たなかったね」
忠憲は落胆のため息をついて考え込むように顎に手をやる。

「さて、このまま呪詛返ししてやってもいいのだけど・・・さてどうするか」
「忠憲さまぁ〜〜〜ん」
忠憲のやってきた御簾の向こうから女の媚びる声がする。大人の色気を含んだ声音は、しかし相手を沼の深みへ無理矢理引きずり込むようなおぞましさを含んでいる。
「アタイの糸にかかった獲物なんだからぁ〜〜〜ん、アタイにおくれよぉぉぉ〜〜」
「そういえばお前がいたね・・・雲居(くもい)」
「あぁ〜〜ん、忠憲さまのいけずぅ〜〜〜ん」
雲居、と呼ばれた女の声が責めるが、口調にはどこか面白がるような風情がある。
「もう三月も何も口にしてないのぉぉ〜〜。ガマンもキライじゃないけどもぉ〜〜〜それも利かなくなってきてぇ〜〜〜変化もぉ〜〜〜変化も解けてきてるしぃ〜〜〜〜!!」
ねだる声と共に何本もの細い棒が床をひっかくような音が響く。深夜に聞くには耳障りな騒音に忠憲は僅かに眉をしかめた。
「そうだね、今日のお手柄はお前だからごほうびをあげないとね」
「はぁ〜〜〜んありがとうっ!忠憲様はそういう物わかりのいい男だから、好きよぉ〜〜〜ん!」
忠憲が一歩横に歩んで道を空ける。すると蟷螂の妖異が僅かに宙に浮き、強風に巻かれたかのような・・・横の忠憲の長髪を大きくなびかせる程の勢いで屋敷の奥へ引き込まれていった。凄まじい勢いの中、蟷螂の全身に銀に煌めく糸のようなものがまんべんなく巻かれているのが主人である忠憲の目に一瞬だけ映った。
御簾の向こうの暗い部屋の中で固いものがへし折られていく不気味な音が響き始めるが、そちらに関して既に忠憲の興味は失せている。

「さて・・・と・・・」
忠憲は寝入る保栄の横に座す。
「普段の保栄なら侵入者が屋敷に入り込んだ時点で起きるのだろうけど・・・やはり夢殿にいる間は完全に意識があちらに行っているらしいな。弟よ、難儀な事だなぁ・・・」
そこもまた可愛いのだけども、と忠憲は愛おしげな表情で目元にかかった前髪を払ってやる。
保栄は夢の内容で未来や事象を占う『夢占(ゆめうら)』を得意とする。この占術を行う場合、彼は意識的に睡眠に入ることが出来る。
そんな彼が時折、日常生活の最中に突如意識を失う事がある。その時の保栄は現状の誰かの意識に入りこんでいるらしい。しかも将来的に平安京の大きな災厄に関わる者の。他者の意識を渡り歩き自分に反映させる・・・無意識な憑依に近い力。占術とは呼べないが徒人には決して真似出来ない彼の能力・・・忠憲はこれを夢の渡殿、『夢殿』と名付けた。
「しかし保栄自身は内容を覚えていないというのだから・・・よく考えなくともこれは保栄を介した私への伝言なのだろうな。誰が伝えようとしているのかは、知らないけども・・・」
自分の考察を口に出してまとめてみる。この声で起きてくれれば、というささやかな願いを含んでいるのだが現実はそう上手くいくものではない。
ふと、穏やかだった保栄の寝顔が苦し気に歪んだ。

「ぁ・・・つい・・・」
保栄が気怠そうに声を上げる。現実に意識が戻ったのかと期待した忠憲であったが、保栄の瞳は依然として閉ざされたままである。
「誰かの意識に飛んだか・・・」
弟の異変に忠憲の瞳からいつもの穏やかさが消えた。誰かの意思を投影する保栄は固く目を閉じ、膝と背を曲げその身を縮める。何かを堪え、また避けているようだった。
「・・・にぃちゃ・・・あついよぉ・・・くるしいよぉ・・・!」
口からこぼれた苦痛の叫びは、普段の保栄が使わない口調であった。見つめる忠憲の目が細まる。
「火災に見舞われた・・・子供・・・?」
「はぁ・・・はっ・・・はっ・・・」
保栄の呼吸が浅くなる。無意識だろう、伸びた両手が現実にはない熱から逃れようと顔を覆い、頬を涙の筋が伝う。全身に玉のような汗をかき衣服にたちまち染みが模様を作る。忠憲が思わず触れた保栄の体温が高い。熱すぎる・・・!
「もぅやだぁ・・・おいてったら・・・やだぁ・・・!!」
「保栄・・・あまり引きずられてはいけないよ・・・」
これ以上は危険と判断し、忠憲は保栄の上半身を抱え上げ手に覆われた弟の額の上で印を作る。小さく唱える呪文は、彼の意識を強引に現代へ引き戻す呪法だ。
以前夢殿に飛んだ時も、死病にかかった女の最期を投影して危うく死にかかった事があった。災厄を予知するという事は、その境界となる一番苦しい部分を体感しているのと同じことなのだ。
夢殿の前兆があった時点で忠憲が発動を阻止する事は勿論可能だろう。しかし保栄が命を賭してまで伝えようとしている予知の意味する深さ故、生死が関わる土壇場まで制止する事は出来ない。保栄もそれを望まない。
だが忠憲自身の気持ちは未然の措置が出来れば・・・と思っている。弟自身に記憶が残っていないとはいえ、毎度目の前でひどく苦しむ様を見せつけられるのは非常に心苦しく、悔やましい。
しばらくして術が効いたのか、保栄の掲げていた手が落ちた。呼吸が安定し、不自然に上がっていた体温も引いていく。

「・・・なんとかなった・・・かな・・・?よく頑張ったね、保栄」
保栄の顔を流れる汗や涙を拭きとってやりながら忠憲は安堵の息をつく。
「あ・・・つぃ・・・」
再度聞こえた弟の呻きに、まさか再発したのか、と忠憲は目を見開く。
「・・・真夏にこの密着加減は・・・さすがに無しです、兄様」
顔を上げた保栄が薄目で兄を見上げていた。顔には呆れと疲れがある。夢殿で受けた影響が激しい倦怠感として彼の身体を襲っているのだろう。
「あぁ、起きたのかい?」
忠憲は内心で二度目の安堵の吐息を吐きつつ軽く両手を上げる。自由になった保栄が自分の力で起き上がり正座に姿勢を正すのを待つ。
「・・・で、やはり倒れましたか?私は」
「倒れたね。勤務中に陰陽寮の渡殿で、パッタリと」
「はぁ・・・よりによってそんな目立つところで・・・」
自分の失態に肩を落とす弟に、兄はいつもの笑みを浮かべて労ってやる事とする。
「まぁこればかりは意識してどうにか出来る仕業ではないからねぇ・・・気にしない事さ。ところで保栄は?何か今回は覚えているかい?」
「生憎ですが、今回も何も・・・」 
「そうか・・・やはりあの状態の内は保栄の意識は完全に別の場所にあると考えて相違ないと―――」
「申し訳ありませんっ!」
考察に入る忠憲に、保栄は両手を床について深く頭を下げる。
「自分の事だというのに兄様伝(づ)てでなければ事情を知れないなどと・・・もっと私に力があれば・・・!」
「保栄が悲観する事はないよ。私など夢殿を渡る経験など一度もない・・・何度も都の危機に備える事ができたそれはお前の力。もっと誇ってもいいと思うけどね」
「でもそれは・・・・・・はい」
自分が未経験の事象には助言も叱責も出来ない、と言外に諭され八つ当たり気味に自虐の言葉を吐いてしまった保栄は申し訳なさそうに頷くに留まる。素直な弟に忠憲は頷き返し、立ち上がる。

「詳しい話は明日にしよう。まだ夜も明けぬことだし、私もひと眠りするから」
「えぇ、おやすみなさい・・・兄様」
「あぁそうだ」
御簾を潜る直前、忠憲は思い出したように一瞬足を止める。
「さっきのお兄ちゃん呼びは可愛かったよ」
「はぁ・・・おに・・・・・・え?えぇ!?」
兄の捨て台詞に弟の喉から失意も絶望も忘れた、頓狂な悲鳴が上がったのであった。


5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する