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2016年06月23日18:46

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伏見宮貞成、秘密裏に口宣案を偽作する

『看聞日記』永享三年(1431)年十二月十一日条
小川禅啓の養子である五郎兵衛有長が左衛門尉の官職を望んでいる。正規の任命書をもらうのは容易くないので、このような下級の官職は、私の個人的な計らいで任命することにした。それで蔵人は中御門明豊左少弁ということにして、田向長資朝臣に任命書を書かせた。そして秘密裏に、この任命書を五郎兵衛に与えた。五郎兵衛は恐縮してお礼をいい、お祝いの酒を献上してきた。些細なことであり、また世間に知られたら面倒なことになる恐れがある。

伏見宮貞成は伏見荘政所小川禅啓の養子(原文は猶子)が「左衛門尉」の官職を望んできた。それに対して家司の田向長資に命じて、実在する中御門明豊を蔵人の奉者として左衛門尉の任命書(口宣案)を偽作させる。最後の感想のところ、原文では「かつうは比興、かつうはその恐れあることなり」とある。

この時期だと官途名を僭称することも相当あったと思われるが、やはり天皇に近い地位にある人に取りついでもらって、本物の任命書をもらいたいと思うのが人情なんだろうな。

それに対して正規のルートで任命書を申請するのは面倒だし、いろいろと手間とお金がかかる。それで貞成は、内心恐れを抱きながらも、任命書を偽作して与えた。

ニセの任命書をもらった五郎兵衛は、とても恐縮している。彼はこれを本物だと信じたのか。それともニセであろうが、自分の領主から与えられたものだから、その一点で納得したのか。

ここに、戦国期に名ばかりの官途推挙状が大量生産される機縁が見え隠れする。

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