mixiユーザー(id:12898330)

2014年11月26日02:12

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中2的な感傷

昔の日本兵は日本のために、特攻して命をささげた。

そうやって、誇り高い献身が国際世論を後押しして、
日本の戦後の躍進への「国際的合意」をもしかしたら獲得せしめてくれていたのかもしれない。

本来の人間の性では、出る杭を打つとか、嫉妬とかが渦巻くから、
スポーツみたいに純粋にフェアではないリアルの世界では、

挫折者は容易には這い上がれないはずだ。

日本は、白人対有色人種の「試合」で、日本以外のすべての有色人種が黒星となっていた、
当時、文字通り誇り高く、「一矢を報いた」

日本が玉砕覚悟でど根性を彼らに示さなかったら、
有色人種という生物は、かつてのクロマニオン人やネアンデルタール人のように、
ホモサピエンスである白人に滅ぼされていた可能性があったと思う。

滅ぼされるというのは言い過ぎかもしれないが、
白人とは完全に別の種として、対等な国際会議のテーブルに着く機会を永久に失っていたかもしれない。

白人>>有色人種の構図が、国際的な共通認識として完全に固定されていたら、
今日のような有色人種の解放はずっと先の話になっていた可能性はあると思う。


俺が、今日感傷にふけって考えたことは、実はもっと俺個人に関してのことだ。

「俺はだれかのために生かされてる。だれかの苦労のおかげで、幸せに生かしていただいてる。」
と思うわけだが、
そうまでして「生かしてもらってる俺」は、いったい何のために生きているのだろう?

ってことなんやね。

一人ぼっちの俺は、誰かのためには生きていない。 かと言って、自分のために生きるということそれ自体に対しては、よく考えてみたら、そんなに執着があるとは思えない。

死ぬのが怖くてダラダラと生きていて、心はいつも空洞状態だ。

財務省にとっての俺は、ただの納税マシンだ。

アメリカ様は俺のことはおろか、日本って国自体も眼中になさそうだ。

つまり、お上にとっての「俺」なんてその程度の存在なわけだ。

逆に言えば、その程度の苦労をを引き受けたら、
生きようと死のうと好きにできるわけで、
あとは完全に自由の身なんだよな。

歳を重ねて、異性をときめかせる能力も失い、
養育する子供がいるわけでもない、
「自由な」俺なわけだが、
これからの余生を何に更けようかw

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