スーパーの精肉売り場をみていると
いろんな部位がそれぞれの名称で売られている。もも、ムネ、ささみ、手羽、脚。
ケージに入れられて育てられた鶏たちは
餌を食べながら思っているだろう。
私の胸肉は弾力があるから煮物にピッたり
モモ肉はジューシーで唐揚げにぴったり
ささみはヘルシーだからサラダにぴったり
脚だってコラーゲンたっぷりであぶらであげと
美味しいのよ。無駄にするところなんてないわ
骨の髄まで啜って欲しいわ。頭は出汁が出るわ。じゃないと私は死んだ意味がないもの。
夜10時を過ぎたスーパーに並べられた
精肉たちのいく末、価値は時とともに値減りし
閉店まじかのミュージックは彼らのレイクイエム、売れ残った部位たちは職員の手で処分箱へ
送られ、豚の餌になるのだ。
そして次の日の朝、また新しい肉が並ぶ。
それが自分の血肉であったならば
と想像するとなんだか怖い。
せっかくしんだのに価値もつかずに
手足や内臓がゴミ箱に放り込まれていく
まだいけると思うんですけどね。
綺麗だと思うんですけどね。
幽霊になった自分は一生懸命弁解しているだろう。その姿もなんだかどうせ聞こえないから滑稽だが。
何がいけないんでしょうね。
悪いことはしたつもりはないんですけど ね。
買っていかれたお肉たちは今頃、家人の胃袋で
役目を全うした喜びに身を溶解させているのだろうな。我々は餌になってまた肉になって餌になって、多分一生陽の目を見ることもないんだろうと思うよ。
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