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2016年02月15日10:50

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政治と言う下司な仕組み

政治は昔「政」=(まつりごと)と言って「祭事」でした。 その「マツリゴト」とは超自然な物を神と崇めて、シャーマン(占い師)を通じて神からの啓示を受け、時には祈りを以って神の怒りを鎮め、神を楽しませる為に歌い踊るパフォーマンスを行いました。日本の祭りの殆どは此のパフォーマンスです。

世界にも共通しますが、太古、人間はアニミズムによって暮らしの規範としてきたのです。邪馬台国の女王と言われる「卑弥呼」は此のシャーマンで、自然(即ち 神)と人間との間を取り持つ霊的超能力が強い女性だったのです。太古、超自然的な能力を持つ者は、恐れられ、崇められたのです。其れがハッタリであろうが、何であろうが、ね。 そして神のお告げによって民衆を自分の影響下に置く。いいかえると「支配」すると言う事です。

この影響を色濃く受けた日本の、郷土芸能や、お祭りの催事、は今も日本の地方に数多く残って居り、現代日本で言う「政治」とは切り離されて連綿と続いているのです。

さて、
この様な経過をたどった現代日本の「政治」ですが、時代の移り変わり、イデオロギィの変化、社会システムの多様化、等により実に低俗で下劣な物に変り果てました。
民衆を支配すると言う事では変わりませんが、現代に政治家は「本音」と「建て前」の「本音」がドンドン肥大し、政治とは「金儲け」の手段で有ると言う側面が、民衆の前に頻繁に露呈され、民衆の信頼を得難いものとしてしまいました。

1945年以後、日本は民主政治の国に成りましたが、実の所その中身は特権意識と利己主義に満たされ、政治は国家、国民、の事はその御添え物として僅かに考えるに留まって来ました。一方で政治家は次第に肥大し、政治は累代の稼業と成って仕舞ったのです。

此の所頻りに取り沙汰されている、甘利、遠藤、等の金の問題、はては若手チンピラ議員の下半身問題、将に目を覆うべき惨状です。
甘利、遠藤、は閣僚を辞任しましたが、この若手下司議員は「議員辞職」をしました。自民党と言う政党では「カネ」の問題より「下半身」の問題の方が罪が重いようです。この若手議員、辞職して当然ですが、辞職は本人の意志では無さそうです。

余り、遠藤、と続いてきた金と政治の問題に重ねて、下半身の問題まで勃発しては夏の参議院選挙に大きなダメージである。幸い日本人は責任を取って「職を辞す」と言う行動が最も効果的な行動だと認める癖があるので、早急に彼を辞職させよ!と言う党内事情により早々と辞職に追い込まれたのです。
思えば誠に憐れな話ですが、甘利にせよ遠藤にせよ、またこの若手議員にせよ、余りにも脇が甘すぎます金に汚な過ぎます。それは此のところ続いて居る自・公独裁政権の所為で、自民議員が思い上がって居る証拠です。

国民は、政治と言うものにもっと注目して、我々自身の為の政治を遣らせる様、もっとフレキシブルに政権の選択をしなければ成らないのでは無いのでしょうか?

古来日本人は統治される事に馴れ過ぎ、明治の革命後も旧態然とした「被統治国民」として飼い馴らされてきました。お隣の中国よりマシでは有っても、本当の民主主義政治を目指す国民で無くてなりません。
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