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2015年12月23日23:54

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岡山探訪 第217回 常山城跡

今年も色々な史跡を探訪した中で、まだ日記に紹介していない場所が数箇所ある。
その中で去る10月に探索した「常山城跡」を紹介しよう。
ここは岡山市と玉野市にまたがる標高307mの常山に築かれ、周辺は干拓されるまで瀬戸内から内陸部に水道が入り込む児島湾に面していた。

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↑(TOP画像)
「常山」
山頂には電波塔が立つ。
その山頂部はやや平坦地になっており、左が「本丸」、右が「栂尾丸」(とがのおまる)になる。

戦国時代は児島北部に勢力を持つ上野氏歴代の居城だったが、毛利軍に攻められ滅亡。
その後、毛利氏は岡山城主の宇喜多直家に城を与えて、その重臣の戸川秀安が入城。
しかし、宇喜多は織田方に寝返った事で再度、毛利軍から攻められるが今度は守り抜いている。
“関ヶ原の戦い”後は小早川秀秋の重臣、伊岐真利(いきさねとし)が入る。
1603年(慶長8年)に備前国を領した池田氏はここを廃城にして、その部材を「下津井城」の整備に用いている。

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「常山城」の登城口

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「山腹崩壊危険地域」の看板
山頂までは道路が整備されているが崩壊箇所がある為、現在は全面通行止になっている。
車で上がればすぐだが、運動を兼ねた山登りなので仕方がない。

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「イノシシ防護柵」
山道入口にはイノシシが麓に出てこないように柵と扉で囲んでいる。
また、中に入ると山道途中の至る所にイノシシが土を掘った跡があった。

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「登城山道」
「石垣」が無数に残っている。
山城は歩いて登らないとこんな発見は出来ない。

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途中に倒木した場所があった。
確かに荒れ放題だ。

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山道には供養のための無数の石仏が祀られている。

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「底無井戸」(そこなしのいど)
一度も涸れたことがないと伝わる常山城の井戸。

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「常山城縄張図」
「本丸」を中心に北と北東へV字形の帯曲輪が階段状に長く連なっている。

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「栂尾丸」
ここには駐車場とNTT無線中継の電波塔が建てられているが、石垣の一部は残されている。

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「常山合戦供養塔」
ここは「北二の丸」
城主上野隆徳の妻・鶴姫は女軍を編成し奮戦むなしく果てた場所。

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↑急な石階段を上がると「本丸」にようやく到着する。

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「城主上野隆徳公の石碑」

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「腹切り岩」
城主・上野隆徳が切腹した場所

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「本丸跡」に建つ展望台

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展望台から見下ろす光景
北部に灘崎の田園地帯と南に瀬戸内が遠望できる。


この日はランチタイムを利用して寄り道してみた。
また、秋から初冬にかけては山城探訪の絶好の季節になる。
次回も山城を紹介しよう。
つづく

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