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2015年09月20日00:08

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【日記】今日の出来事 9/19(土)

平成27年9月19日(土)

【生まれ育った土地】
0才から8才まで釧路で過ごした。
今まで生きてきて一番長く同じ場所で生活していた。
2階建ての2世帯住宅で、リビングと部屋が5つあるような大きな家だった。
周りにはちょっとした畑があり、ジャガイモ、大根、イチゴなど毎年植えていた。
ビニールハウスもあった。
大きな庭もあったが手入れはあまりされていなかった。
8年間でいろいろな生活の記憶が残っている。

色々あって自分が高校生の時に土地を引き払い、他の人の物となりこの土地とは縁が無くなった。
10年くらい前に用事で通った時は建物はそのままで、別の人が使っているみたいだった。
縁が無くなっても過ごしていた場所は気にはなる。

8月に久しぶりに法要で釧路(阿寒)へ行くことになった。
少し時間があればその場所がどうなっているか見たかったが、時間があまりなくて寄ることができなかった。

今日、釧路市だったらストリートビューで見れるんじゃないかなと思い、見てみた。
すると前の建物はおろか、庭や車庫、物入れまで全てアパートや住宅地になっていた。
自分の記憶に残っている場所の面影はほぼ消えていた。

見なければよかったと後悔した。
現実的な事を考えると、無駄に大きな建物に住み続けるのは合理的ではないし、
賃貸アパートを建てるなりするだろう。
そしてその場所では他の人が過ごしている。

当時の生活の記憶は鮮明に思い出すことができる。
夢にでも当時の風景や思い出が蘇る事もある。
当時一緒に過ごした大部分の人との別れを体験したが、
さらに過ごした場所さえも無くなってしまった。
この事実を知って寂しさを感じた。

人や物は失うとその当時から時が止まったまま思い出として残り続ける。
そこから年をとったり、老朽化も、衰えもしない。
時間が止まったものは当時のまま保存しておくのがいい。
美化しすぎたり、物思いに耽ってばかりいても意味が無い。
一方で、自分は進み続けるので年も取る。
変化を感じるのが生きている事と同義なのだ。

何かを疎かにして、何かを優先させるということではなくて、大事なものは大事に保存しておけばそれでいいかなと思う。
今回もそう考えるようにした。

ある人が自分に
「死ぬことも怖いけど、私が皆から忘れられることの方が怖い。」
と話していた。
自分はその人との思い出を持ちながら生活している。
お盆に墓参りしてその人に家内と娘の顔を見せて来たので、ちょっと親孝行できたかなと自己満足している。

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