【広告・7月4日「仏像愛好の集」在ります,参集募集中 以前の日記参照ください!】
この孤思庵日記を コミュニティーに衣替えした方が良いのかと思索を始めてまして…それでこの処 集のメンバーの皆さんに投稿をお願してます。 新人さんお二人には しきたりだから、とうそぶいて 投稿を半ば強引にお願いしてみました。 先日はOcさんが呼応して投稿して頂きました。今度はそれを種に Haさんにも書いてとせがんでてみまし処、聞き入れて頂きメールで随想を送って頂きました。
個々の仏像への思い、仏像好きな理由は興味あるところですのでここに掲載させて頂きます。
この寄稿文にコメントを頂ければ幸いです。
これに続き、お仲間の皆さんも エッセイ等 なんでも結構ですので、寄稿お願いします。」孤思庵
何だか、いざ書いてみたら、皆様に読んでいただくには、中身も無く恥ずかしい限りですが、取り敢えずお送りしてみます。
落ちこぼれの記
思いがけなくお誘いいただいて、皆様の仏像に対する想いと、造詣の深さに感心し、ただただ自分の無知を恥じながら、もうダメ!ついていけない!と
毎回思いつつ、ご熱心な諸先輩に引っ張っていただいたり、後押ししていただいて、何とか土俵際で踏ん張っている状態の私です。
最初の修学旅行が京都・奈良で、薬師寺の高田好胤さんの解説に感動し、中宮寺の弥勒菩薩の微笑みに魅せられました。
最後の修学旅行がまた関西で、犬養孝先生が朗々と犬養節で万葉集を吟じて下さりながら歩いた飛鳥路の旅に酔ったものでした。
上の子が小学校を卒業した時、行きたかった飛鳥路を再び親子5人で自転車を走らせ廻ったのも、今は良い思い出です。
その後30年くらいは夫の思いがけない死によって、子供3人と失明した姑とを抱えて、必死の毎日でした。
でも、つらいこと、苦しいこと、嬉しいことががあるといつも、仏前で、そして菩提寺で、手を合わせ祈ったり報告したりしたものです。
デ 夫の死後勤め始めた職場を定年退職し、子供たちも巣立ち、姑も見送ってみると、何だか空しくて、寂しくなりました。
そんな時、昔、井上靖の「星と祭」を読んで、自分も何時の日か湖北の十一面観音を巡って、歩いてみたいと思ったのを思い出し、旅に出てみました。
ひなびた田舎の小さなお堂の中の十一面観音を村人が何百年も大事に大事に守っているその情景は感動でした。
誰もいないお堂で、仏様に対峙していたら、何だか涙があふれて、でもお堂を出た時は、すごくすっきりして、生きる力をいただいたような気がしました。
その感動が忘れられず、その後も琵琶湖周辺には、何度か足を運んでいます。
大好きな奈良旅や四国お遍路を、相棒とこのところ、毎年行っています。
沢山の仏様にお会いしているのに、私は仏様のことを何も知らず、調べず、美しい!心休まるというだけの接し方でした。
その地、その寺、その仏の置かれた雰囲気が好きというだけでの旅行でした。
やっと得た、自由な時間にやりたいことが沢山有り過ぎて、どれだけ勉強できるか不安ですが、これから皆様に教えていただいて、もう少し深く仏像を学び、
仏教の心に触れられたらと思っていますので、こんな落ちこぼれですが、よろしくお願いいたします。 ミッチー
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