mixiユーザー(id:4209164)

2015年05月21日15:44

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覚醒の奥の層を突き抜けて。

覚醒について、
ちょっと前々回ぐらいに
書いたと思うんですけど


そのビューティフォーな
体験を望んでいたわけです


涅槃の境地に入らば、
これ苦しみなし

と。

ゆえに、ものごとは
あるがままおこるがままであり
世界は常にそのままである


ここ、

バラバラだった生命が
神聖な合一により、
奇跡のような瞬間に遭遇するわけです


それは、
全次元に貫通しながらも、
すべての視点を強烈に内包した
空なるもの


とか、言われたり
したかもしれません。



そのビューティフルな
一体化の経験こそ

時代の背景で
語られてきたことでした


ところで、
ブッダの生涯ですが、

ブッダには、
悩みがあったと思うんです

おそらく、それは、
世界にある苦しみ

だったんじゃないでしょうか?


それで、
この世界に、
命終わる瞬間まで尽力した
んじゃないかと



この創造溢れる世界の中では、
創造の一部としての
《わたし》は、もがいています


そこから抜け出ようというのが
これまでの旅でした。


それで、ここから
時代がおそらく変わったんでしょう

さらに、生命は
踏み出していきます。


それは、タオに
責任を持ち出す

目覚めた存在への
シフトでしょう



世界に対して、

生命は、バラバラであり
お互いを蝕みすらしていた
状態だったのかもしれません


そこから、
神聖な合一により、
《知る》というか


在ること


についての理解を
増していきます



それで、ここから、
横っ飛びします


責任への目覚めです


タオに対して、
責任を取り始める進化が
はじまると思います



それは、逆に
ショッキングな体験かも
しれません

この準備が
できていないから、
進まなかったのかもしれません


そして、
なんらかの準備が
整ったのかもしれません



すべての理解が
古いものになります



話を変えねばなりません。



たとえば、
別の星にいけば、

そこで暮らすことになれば、
ひょっとしたら、
なにもかもが新しくなり、
圧倒されるかもしれません。



現段階の存在の

《在る》という状態は、
主にこういう理解だと思います。


《それは、

世界の運命と共にする

世界と寸分違わぬ

今この瞬間

ここにピタリと重ねること》


あなたは、
あなたになっているとき、


あなたを認識していますか?


《あなた》は、

《他でもないあなた》であり

なんていおうが

私なんだよ


の《わたし》だと思います。



あなたは、あなたを認識してはおらず、

あなたは、あなたとして
生きていると思います



それと同じで、

これまでの《在る》の認識は、

宇宙のタオに、

あまりに合一するために、

タオを認識しない

ソレとして存在することでした。




たいていの本を
読んでみてください


このことが、
手を変え品を変え、
書いてあります。


ここからの《在る》
の状態は、進化します。



それは、タオに重なり、
世界と共にいる


というところから、


ひょっとしたら、

《タオに責任を持ち、

自己として自己を創造し、

タオを意図的に方向づける存在》


じゃないかと思ったりしています。



それは、気づかれているので、

自己の認識は深く



世界として、
一体になってはいません。



気づいたまま、
創造の世界に共にいます




運命を変えようよ


そういうことです


最初の認識の方では、

運命とは、《わたし》や

《せかいそのもの》であり、

また、運命と わたし

は、ピタリと重なっているため

流れを見守る観察者のような

役割として存在しています



それは、強固な孤独ですが、

全体性としての自我のなさ

至福の時間を流るるままに

流れています



次の認識では、

それをやめるか、

選ぶかは、

どちらにせよ


都合次第かもしれませんが




自己を気づいたまま

再創造していきます。






おそらく
これは、次の段階の

《在る》の認識です



もちろん、これまでの
時代は、神聖な合一が
在るの最終認識であったため


そこに到達することや、
そこを語ることが主でした。





ほんで、ここから、

真横に飛ぶので、

責任の認識が深まります。






それは、暗闇の中の光


あるいは、


光の中の暗闇です





いずれにせよ、




ショッキングな驚き





仕切り直し、





そして、成長です





この責任の認識が
深まる旅ですが





最初の認識のままであると、
そのものは、
こう言うでしょう

責任など存在しない

それは、
自分の一部であり、

それは、
わかちたがいものだからだ

自分がいなくなれば、
それを所有するものも

それを担うものも
いなくなる。

すべては、あるがままだ。

そういうでしょう。




いま、ここを簡単に

方向づけようとしてます。





それは、

個→全への

一道順のなかでの、
到達地点だったと思って
みてください。





つながりを忘れた
バラバラのゴールは、

「もう一度、
つながりを思い出すこと。
その認識を得ること」


がゴールだったのかも
しれません。




どちらにせよ、

それは、

「バラバラの存在のゴール」

だったとしてみましょう。




だから、ゴールの話をするわけです

そのゴールの話とは、

現段階の「在る」

という話でした。




もちろん、

バラバラの存在たちの
ゴールは、至福を感じることであり、
大いなる流れと
一体化することであったのだから

と、考えてみましょう。




それが、文明で
《気づかれていること》




気づかれていないのは、
同じタオを担う存在として、

タオに責任を持ち
方向づけることからはじまる


ゴールすら、


基準すら、

決める旅の始まりです。





この状態の《在る》の理解を


これまでとカタチの違ったもの

だとするなら、

おそらくそれは、

その生命において、

叡智の認識を帯びるでしょう





この層の突き抜けは、
ある意味、何度も起きてきた
ことでした。





ここからの横へ飛ぶ話は、

それぞれが新しく再認識し、

磨きをかけて




さらなる突飛な進化を幕開ける


覚醒の門として


次なる理解を得るでしょう。





これまでの理解を脱却することを

遊んでみることが、

まったく新しい仕切り直しを生む





この新たなる目覚めの層を

突き抜けながら、

全く新しい仕切り直しに

進むことでしょう。





これは、個人的な観点であり、

思った以上に柔軟で、

次はしなくなる話かもしれません。



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