吉村昭氏の「羆嵐」と言う小説をご存知でしょうか。
99年前の本日、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村
三毛別-六線沢で発生した、
クマの獣害としては記録的な被害を出した事件について書かれたものです。
六線沢熊害事件、苫前羆事件とも呼ばれます。
羆が複数回民家を襲い、開拓民7名死亡、3名重傷と言う
前代未聞の獣害事件でした。
事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事件は終息します。
山本 兵吉と言う人物が仕留めたのですが、
軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に
数多くの獲物を仕留めた評判が高いマタギだったそうです。
最後の様子はこう書かれています。
ヒグマはミズナラの木につかまり、体を休めていた。
その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、
風下から気配を殺して近づく兵吉の存在には全く気づいていない。
20mほどまで近づいた兵吉は
ハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。
そして、銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。
兵吉は即座に次の弾を込め、間を置かずに素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。
12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、
村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠られた姿だった。
実にこの羆は350kgの巨体で、頭が異様に大きな固体だったそうです。
この事件で、羆は火を恐れない事。死体を隠して再度食べに来た為、死んだふりも無効。
獲物に執着するので一旦いなくなっても再度現れる事、等、多くの教訓を残します。
仕留めた羆を移送する際、急激に天候が悪化し、吹雪になったそうです。
「羆嵐」と言うのは熊を殺せば天気が荒れるという言い伝えで、
それが本当になった、と言うところから、この本のタイトルがつけられたそうです。
今でも熊の情報はありますが、こういった激しい事件は無くなりました。
自然の脅威に慄く時代はまだ続いています、それでも我々は生きていかねばならないのだなと
この本を読み返すたびに感じます。
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