私の愛読書に『正気の保ち方』というのがありますが、この中に、日本人の受動的攻撃性について述べている部分があります。引用によって紹介しましょう。
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ともかく、そのとき和辻哲郎の日本人論のことを思い出しました。彼は、『風土』の中で、日本人のモンスーン的性格ということをいう。そしてそのうちの一つの重要な性質として受動的攻撃性を挙げている。
季節風という避けられないものを引き受ける意味で、日本人は受動的なんです。しかし、そのモンスーンの雨をなんとかうまく利用しなければ、農耕ができない。つまり、被害者の立場に立っておりながら、被害を逆利用しようというわけです。
和辻の場合、この受動的攻撃性を日本人のメリットに勘定していますが、それはデメリットにもなりうると思う。なぜなら、能動的受容性というコミュニケーションの重要な要素を放擲しているわけですから。他者にたいして、批判を交えつつ積極的に話しかけながら、相手の反応にも耳を傾ける、それが能動的受容性ですが、それがなければ会話なんて成り立ちません。まして討論、議論がうまく進行するわけがない。「沈黙は金」ということもあるのですが、沈黙が輝くのは言葉を背景にしてのことなんです。(P121〜P122)
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この発言をしているのは西部邁ですが、西部は「他者にたいして、批判を交えつつ積極的に話しかけながら、相手の反応にも耳を傾ける、それが能動的受容性ですが、それがなければ会話なんて成り立ちません」と言っている。この指摘は非常に重要であると考えます。
日本人の特徴を論じるとき、しばしば私たちが陥りやすい考え方の誤りは、「日本人には他民族にはない何か特別な性質(特徴)がある(存在する)」という角度からアプローチしがちですが、このアプローチでは成功しない場合もある。なぜかというと、探求されるべき日本人の特徴が、「何かがある」ことに起因しているのではなく、「何かを欠如している」ことに起因している場合もあるからです。
そして後者の場合、その「欠如している何か」を同定するのは結構難しいのです。日本人に欠けているものの最たるものは「他者にたいして、批判を交えつつ積極的に話しかけながら、相手の反応にも耳を傾ける能動的受容性」です。そしてこの「他者にたいして、批判を交えつつ積極的に話しかけながら、相手の反応にも耳を傾ける能動的受容性」の欠如に起因して、日本人には独特の攻撃性がある、というのが私の見解です。
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