先週は第7回・木曽川完全遡行へ行った。
忙しかったので、なかなか日記に書けなかった。
今日の日記は長くて写真も多い。
じつは今回のルートは完全踏破した人の記録がどこにもなかった。
だから資料的な価値があるかと思って詳しく書いた。
7月20日(土)
前夜に名古屋を出発して、南木曽の天白公園でテントを張って寝た。
今回は車をこの公園に置いて歩く。
午前5時45分、桃介橋を途中で降りて河原を歩きはじめる。
大きな石のゴーロなので歩きにくい。
すぐに左岸を上がり、国道19号線を歩く。
朝から交通量が多い。
高瀬橋を渡り、右岸に移る。
1キロほど田舎の舗装道路だ。
トンネルの手前の分かれ道を下りてくと、突き当りが川西古道だ。
もともとハイキングコースだったけど、現在は通行禁止になっている。
わずかな踏跡を追って草むらに入っていく。
橋はすべて朽ち果てている。
渡るのが怖い。
上に乗ると穴が開いて落ちそうだ。
登山道は土砂に埋まっているか、草が生え放題になっている。
急な斜面を横切るときなどは緊張する。
ときどき踏み跡がわからなくなる。
そんなときは急な斜面を登ったり降りたりして、歩きやすそうなところを探す。
1時間以上も悪戦苦闘していた。
やがて平坦な広いところに出て、道もなくなった。
適当に歩いていたら、突然アスファルトの道路に降り立った。
下の方にはトンネルの出口が見える。
川西古道の通行禁止部分を制覇したのだ。
道路を下って行くと民家があった。
そこの家の人に挨拶すると尋ねられた。
「どこから歩いてきたのだ?」
「トンネルの外を通ってきたのか!あんな危険なところ、よく落ちなかったなあ!」
すぐに水路橋があった。
福沢桃介さんが作った、重要文化財の橋だ。
さらに坂道を下ると柿其橋があり、その手前に神社がある。
神社の裏手に回りこむ。
採石場があり、重機が何台か置いてあった。
午前8時30分、その広場から山側に登っていく。
30メートルほど樹林を登ると、荒れ果てた道とトンネルがあった。
木曽森林鉄道柿其線の廃線跡だ。
50年ぐらいまえに廃止になった鉄道だ。
中央線野尻駅から木曽川右岸沿いを通り、柿其渓谷の奥まで続いていたそうだ。
とくにここから読書ダムまでの2キロほどの区間は、トンネルが6つと鉄橋が3つ作られた。
変化に富んだ廃線跡だ。
採石場すぐ上には第6トンネルがあった。
そこから整備の悪い林道のような道が続いている。
かすかながら踏み跡もある。
鉄道が走っていただけあって高低差がなくて歩きやすい。
石垣や法面は頑丈に作ってある。
ほとんど崩壊していなくて、50年も放置されているとは思えない。
土砂崩れで大きな岩が道を塞いでいるところがあった。
岩の下をくぐって向こう側に出る。
第5トンネルと第4トンネルを抜ける。
トンネルはどれも短くて50メートルもない。
でもアーチ型の石組みで本格的な作りだ。
次に鉄橋が2つ連続して現れた。
どちらも橋が落ちて橋脚だけが残っている。
急な斜面を谷に降りて、向こう側の斜面を登る。
かなりの勾配だ。
しかも不安定な砂地なので、滑り落ちそうになる。
また線路跡を歩いて行く。
木曽川に吊り橋がかかっているのが見えた。
十二兼駅に続く二又橋という小さな橋だ。
その手前には狭い畑があった。
地元の人が橋を渡って耕作しているようだ。
向こう岸に渡ってみる。
静かな田園風景だ。
すぐ上は中央線だ。
ちょうど「特急しなの」が走ってきた。
廃線跡の不思議な光景とは別世界だ。
また橋を渡り右岸へ戻る。
楽しく線路跡をたどっていく。
突然、高密度の草むらに道が隠れている。
ここから藪こぎだ。
草を押し分け、樹の枝をくぐり抜け、少しずつ前に進む。
小動物が通っているのだろうか、地上50センチぐらい隙間があることもある。
そういうときは四つん這いになって進む。
樹木で塞がれ、前が見えない。
この先どうなっているのか?
もがき進むうちに藪も少なくなり、歩きやすくなってきた。
しばらく行くと第3トンネルと第2トンネルがあった。
そして第2トンネルを抜けるとすぐに鉄橋があった。
橋は落ちていない。
でも、とてもこれを渡る気になれない。
枕木が腐っているし、滑落したら助からないだろう。
橋のこちらも向こうも岸壁だ。
引き返そうかどうか悩んでいた。
下の方をよく見ると、左の方に堅そうな岩があった。
ロープを使って下りてみよう。
橋の右から下りて、鉄骨の部分をくぐり抜け左側に移る。
樹の幹にロープを括りつけ、つかまりながら谷底に降りた。
沢を渡り、向こう側を下から眺める。
なんとか登れそうだ。
橋の真下をよじ登り、鉄骨まで来たらしがみついて、反対側の線路跡に登りついた。
振り返ると、思ったとおり橋はめちゃくちゃに劣化している。
渡って来なくてよかった!
また楽しい線路跡ハイキングをしていたら読書ダムが見えてきた。
もうちょっとだ。
第1トンネルがあった。
最後のトンネルだ。
そこを出ると土砂崩れで、ちょっと緊張するところがあった。
でも高巻きの踏み跡がついていたので、なんとか越えた。
さらにその先に立入禁止のフェンスがある。
乗り越えるとダムの敷地内の舗装道路に出た。
ついに柿其線の廃線跡を完全縦走したのだ。
同行者と喜び合う。
時計を見ると11時過ぎている。
2時間半かかったのか。
ダム湖の脇に阿寺温泉がある。
日帰り入浴ができる。
お風呂に入って、冷や汗だらけの身体を洗った。
ここからはずっと舗装道路を歩く。
川沿いの道だ。
ここも森林鉄道の線路跡で、野尻駅まで続いている。
阿寺川を渡り、野尻向に着いた。
野尻向橋を渡る。
すぐ上流に森林鉄道の鉄橋が残っている。
川を渡ると野尻宿だ。
中山道跡の狭い町並みを抜けて国道19号線に上がる。
国道沿いにラーメン屋があったのでお昼ごはん。
ラーメン屋のすぐ上に妙覚寺というお寺がある。
ここの裏庭にはマリア観音の石像が安置されている。
観音さまの隅っこの方にクロスが刻んであった。
また野尻宿から橋を渡り、野尻向に戻る。
19号線は交通量が多いから、できるだけ歩きたくない。
田舎道を歩いていたら、殿という集落に着いた。
静かな寂れたところだった。
道路も整備されていなくて、東南アジアの田舎のような風景だった。
なかなか、こころ落ち着くところだった。
殿大橋を渡って国道側へ行く。
ここから右岸には道がないからだ。
19号に出ると、すぐに伊奈川を渡る。
この川の奥が空木岳の登山口だ。
わたしたちは知らない間に中央アルプスの中心部まで来ているのだ。
伊奈川から1キロほどで須原宿だ。
セブンイレブンがあったので買い出しをする。
そこからすぐの和村橋を渡ると大桑村スポーツ公園だ。
大きなグラウンドやテニスコート、体育館や公民館もある。
一番奥には歴史民俗資料館もあった。
ちょうど4時だ。
まだ時間があったので見学する。
田舎の資料館は、地元民が寄付した生活用具などが雑然と展示してあることが多い。
ここもそんな感じだった。
でも一つひとつは面白いものがあるので、じっくり見ていく。
一番感動したのは「下駄スケート」だ。
いつの時代かしらないが、下駄にスケートの刃をつけて氷を滑っていたらしい。
こんなもので滑ることができるのだろうか。
フィギュア用と書かれた方は、ちゃんとエッジの前方に窪みがあってジャンプできるようになっている。
浅田真央がこれを履いてアイスショーなどで滑ると話題になるだろうなあ。
資料館を出る。
公園のすぐ裏手が、予約しておいた宿だった。
「民宿いとせ」というところ。
12畳の広いきれいな部屋で、やっと落ち着くことができた。
大きな浴槽で体を洗い、ボリュームたっぷりの夕食とビールで疲れを癒す。
前回の妻籠の民宿では、外国人観光客ばかり泊まっていた。
ここは現場の作業のために出張してきている労働者ばかりだった。
同じ民宿でも雰囲気がまったく違った。
夜は涼しかった。
クーラーなどいらない。
もうここは標高550メートルだからなあ。
翌日の日記は、明日から行く山登りから帰ってきてから書く。
山登りのぶんの日記は、その後来週に書く予定。
なかなか忙しい。
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