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2007年09月20日00:21

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9月14日 水谷修先生講演概要 その5

 水谷はいつも子供達に「いいんだよ」という。
「先生、俺クスリやってた」「いいんだよ」、
「先生、私リストカットやってた」「いいんだよ」。ただ
「先生、自分の人生、自分のものだから死んでも良いよね?」
だけは決して「いいんだよ」とは言えない。
「お前達が授かっている命は、お前達だけのものじゃない。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そのまた
おじいちゃん、おばあちゃん、先祖代々、脈々と受け継がれて
きた命なんだ。その一人欠けただけでも、今のお前達は存在
しない。だから粗末に扱っちゃいけないんだ」
 水谷は沖縄を訪れた時、必ず行くところがある。ガマ洞窟。
 太平洋戦争末期、1945年4月の沖縄戦で、アメリカ軍が
上陸した時、島民の724名がガマ洞窟に隠れた。ここは、
アメリカ軍の無数の砲弾にもビクともしなかった。上陸した
アメリカ軍の兵士が、この洞窟の中に島民が隠れている事を
発見し、火炎放射機で、中の人間を殺そうとした。中に
いた大人達は、赤ん坊達を洞窟の一番奥に隠し、自分達は
岩や石を抱いて迫り来る炎に飛び込んでいった。その岩や
石で、そして自分自身の屍で炎をくい止め、何とか炎が
赤ん坊が隠れているところまで届かないように
必死に飛び込んでいった。まだ小学生にもなっていない
ような幼い子供達も、赤ん坊達を守る為、岩や石を
抱いて大人達と共に炎に飛び込んでいった。こうして、
12名の赤ん坊の命が救われた。
 子供達、今君たちの存在はたくさんの命の犠牲の上に
成り立っている。君たちの命は、先祖代々、たくさんの
犠牲になった人達から託されたもの、預けられたもの
なんだ。もし、死にたくなったら、無念の死をとげた
おじいちゃん、おばあちゃん達を思え。
 最後に、16年の戦いの中で、一番幸せだった事を
紹介する。8年ほど前、薬物について講演をしに行った
学校での事。水谷は講演で、周りの人間に笑顔を、
挨拶を、元気な声を振りまこうと、生徒達の前で
述べた。
 後日、その学校で、「挨拶、声かけコンテスト」を
開く事を決めたそうだ。周りの人に、たくさん挨拶を
しよう、元気な声をかけようという趣旨のものだった。
 生徒が学校だけでなく、ご近所や、見知らぬ大人の
人たちや、駅の改札、いたるところ、あらゆる人達に
挨拶、声かけをするようになったそうだ。
 その学校の校長先生から水谷に一通の封書が届いた。
封書の中には、学校に送られた手紙のコピーが
入っていた。学校の近所に住んでいる72歳の
おばあちゃんから学校の校長先生宛に送られた
手紙のコピーだった。手紙には、こう書いてあった。
「私は10年前に夫と死に別れ、子供も孫もなく、
寂しい毎日をおくっておりました。ところが、
おたくの生徒さんたちから、おはよう、こんにちは、
等と元気な声をかけてもらい、重たい荷物まで
持ってもらい、茶飲み友達として、話を
聞いてもらいました。こんなにうれしいことは
ありません。花を植えました。咲いたら、
お礼に学校に届けます。」
 人から優しさをとったら、ただの獣です。
 学校が悪い、国が悪いという前に、まず大人達一人一人が
責任をもって優しく生まれ変わるべきではない
でしょうか。

(終り)
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