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2024年02月13日20:16

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AFCアジアカップ企画3(終)ヨルダン・ハシェミテ王国 世界遺産のペトラ遺跡 ロイヤルファミリーの素顔、日本との外交関係 最新ガザ情勢 

  <AFCアジアカップ企画(3)準優勝 トランス・ヨルダンについて>

 企画2 戦争後のイラク2 クルド自治区 サッカー選手アイメン・フセインの生い立ち https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986879033&owner_id=32437106

 AFCアジアカップは、日本時間の2024年12月10日(土)24時に、決勝ヨルダン 対 カタール戦が行われた。自国開催のカタールが、3対1でヨルダンを下し、2年連続2回目の優勝を果たした。大会の決勝戦では史上初となるアクラム・アフィフが、ハットトリックを達成している。彼は、大会通算8ゴールを上げて、得点王と共に、MVPを獲得した。同大会で日本は、準々決勝でイランに1対2で敗れ、ベスト8どまりとなっている。

 本日は、大会5度目の出場で初の決勝進出を果たしたヨルダン王国の外交関係や政治体制、また世界遺産ペトラ遺跡を含め、産業をテーマにした。中東地域の中で比較的治安は安定し、パレスチナ難民の受け皿となり、若年層が多い国である。国の未来についても考察する。

        第1章 国の政治体制

トランス・ヨルダンは、1946年に正式に独立し、1949年に、現在の名称ヨルダン・ハシェミテ王国に改めた。1952年1月8日に憲法の制定に伴い、イスラム教の開祖ムハンマドを輩出したハーシム家を国王(マリク)とする立憲君主制である。国王が権限を持ち、内閣と共に行政権を執行する。議会は、日本の衆議院と参議院のように二院制を採用した。上院65名、下院130名である。2010年12月から2012年にかけて起こったアラブの春の影響により、国民の間では議院内閣制への移行を求めて、デモが起きていた。王政打破にはいたらず、体制は代わっていない。同国の資源や外交関係を探っていく

 ヨルダン・ハシェミテ王国は、2021年時点で人口1110万、面積は北海道と同程度だった。西暦2000年時点の人口は480万人にとどまったものの、相次ぐ中東各地での戦争から、難民が流入した結果、人口が急増したのである。天然資源は、リン鉱石、カリが中心である。
外交面で画期的だったのは、アラブ諸国において1978年のエジプトに続き、2番目に早くイスラエルを国家承認したことにある。1994年10月26日に、ヨルダンのアラバの谷にて、イスラエルのラビン首相と先代のフセイン一世との間で和平を結び、国境を画定させた。安全保障体制を協力し、水資源を管理すると合意に達した。つまりはお互いの国を尊重し、それぞれの領土を認め、資源を奪わないことを誓約したのである。同条約イスラエル・ヨルダン和平には、パレスチナ難民解決案も盛り込まれた。

 写真=イスラエル・ヨルダン和平の様子 写真左側ラビン首相(イスラエル)、真ん中米国クリントン大統領、右側ヨルダン国王フセイン一世 ウィキペディアより
フォト


前年となる1993年9月13日にオスロ合意により、パレスチナを代表するアラファト議長と、イスラエルのラビン首相の間で、相互で国家を認め合う条約を承認した。アメリカが仲介役になり、一旦争いに終止符をうち、時間をかけて、国境を画定させることで話がまとまった。イスラエルが占領していたヨルダン川西岸とガザ地区について、パレスチナ側が5年間、暫定的な統治権が与えられた。その間にパレスチナ独立国家の樹立を目指すことを主眼としていたのである。ヨルダン・ハシェミテ王国は、現パレスチナのヨルダン川西岸地域を、1988年の段階でイスラエルから逃れた難民達に与えると表明していた。つまりは、ヨルダン川西岸地域の主権を放棄することを意味する。パレスチナの建国を支援する立場に変わりなかった。国内も比較的政情は落ち着いていた。1999年2月7日、フセイン一世は、病気で崩御した。63歳だった。在任期間中、インフラ整備に力を入れる。下水処理施設を充実させ、電力供給を安定させる。国民に恩恵が行き届き、高い支持を誇った。

 国王の座は、フセイン一世の長男アブドゥッラー二世(1962年1月30日生まれ)に引き継がれた。政治に積極的に関与する王は、庶民的な姿勢により、好感度が高いとされている。一般市民の目線から物を見るべく、タクシー運転手や新聞記者に扮して、街中を出歩いたことがあるという。若い頃には、真っ白いひげを蓄え、老人の格好で姿を見せる一幕もあった。変装については、2度道行く人々に見つかったという。国王自ら運転手になりきり、外国の要人を迎え入れるなど、時に貴族からかけ離れた一面を持つ。国民のアブドゥッラー二世への敬愛心の強さが、政情の安定に繋がる。もう一人国の顔は、ラーニア王妃(1970年8月31日生まれ)である。世界の王室の中でも美容学的に、トップクラスの黄金比を持つとされている。クウェートでパレスチナ人医師の下で産まれ、手厚い教育を受けた。大学卒業後の1991年にヨルダンの首都アンマンで勤務していた際、王室の目にとまり、半年の交際を経て、93年6月30日に当時の王太子アブドゥッラー二世と籍を入れた。後に二男二女をもうけている。

 写真=2023年3月 イマン王女の結婚式にて 国王夫妻
https://www.crank-in.net/gallery/news/123904/4
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解説:ヨルダン国王一家(後列左から)長男フセイン皇太子、次女サルマ王女、次男ハシェム 王子、長女イマン王女 (前列左から)ラーニエ王妃、国王アブドゥッラー2世 (C)Zeta Image

王室に入ってからも、キャリアウーマンとして培った能力が発揮される。ヨルダン国内に職業訓練所を開き、児童虐待防止キャンペーンの顔としても売り出した。10月7日にイスラエル軍とハマスの戦いにより、犠牲になった人々へ哀悼の意をささげた。10月24日に米CNNのインタビューにて、米国やドイツを念頭に、イスラエル支持の姿勢を非難した。「ヨルダン国民も心を痛めている」と沈痛な面持ちを語った。

 詳細 インタビュー CNN2023年10月25日付 https://www.cnn.co.jp/world/35210690.html

2003年のイラク戦争、2011年から続くシリア内戦により、故郷を追われた人々が、治安が安定したヨルダンへと流れつき、定住生活を送った。ヨルダン政府によると、シリア難民の数は130万、キャンプ地から抜けて、街中で日常を送っているという。民族的にも近く、言葉の壁がない分、社会に溶け込みやすさも、適応できる要因の一つである。

         第2章 難民が多い経済事情

 国の特徴は、若者の多さにある。14歳以下の若年層が国民全体の約35%を占め、国民の平均年齢は22.8歳、初等教育の就学率は97.5%(男子97%、女子98%)、15歳以上の識字率も99%以上(2017年UNICEF)に達した。教育は充実しているとはいえ、他の中東諸国と比べると、天然資源が乏しい。進学率が高く、若い働き手が多く、活気ある社会に見えながら、産業の少なさから、豊かになれないのである。世界中央銀行によると、2023年の一人当たりの国民所得は、世界117位の4613米ドルだった。

 国の深刻な問題は、水不足である。首都アンマンにおいて、配水管を通じた給水は週50時間程度にとどまる。市民は、断水に備え、タンクを所有する。年にわずかに降る雨水を溜め込み、少しずつ消費していた。エネルギー関連では、95パーセントを輸入に頼っている。

 詳細 外務省 ヨルダン l
詳細 JICA ヨルダン国事情 
 詳細 中東・イスラーム諸国の政治変動 2021年8月20日 投稿者:北澤義之
ヨルダン/最近の政治変化

 一人当たりのGDPでは、世界5位のカタール(83521米ドル 2023年時)、世界17位のUAE(51400米ドル 2023年時)に比べて、下回っていた。

 詳細 GLOBAL NOTE https://www.globalnote.jp/post-1339.html

産油国と比べて、人々の生活は制限がある。貧しい暮らしを強いられても、国民は悲観してはいない。難民が流入した2000年代、経済成長率は毎年平均5%を超えた。生産年齢に比例して、労働投入量が増加する。生産年齢. 人口比率の上昇に伴う貯蓄率および資本ストックが向上する。経済学では、生産年齢の人口が高い状態のことを「人口ボーナス」、逆に現在の日本のように、高齢化が進み、働き手が減っている状態を「人口オーナス」という。

 もう一つ経済を支えるのは、海外からの働き手による外貨である。約79万人の海外への出稼ぎ労働者の送金が、GDPの10%を占める国際収支を支える。

 国の経済は、神秘に包まれた砂漠の中の神殿、ペトラ遺跡、海水濃度が30%(平均3%)を越える死海、ワディラム砂漠、ジェラシュ遺跡を含め、観光資源は多い。死海については、コスメブランドとして売出し、2017年に日本に直営店がオープンした。

天然資源が乏しい同国において、景気の行方は外敵要因に左右されやすい。2008年にリーマンショックにより、成長にブレーキがかかった。もう一つ経済に暗い影を落としたのは、民衆が独裁政権に対して蜂起する「アラブの春」である。2010年12月のチュニジアのジャスミン革命を発端に、2012年まで西アジアから北アフリカの地域において、連鎖反応的に民衆が独裁政権を打ち倒したのである。大局的にみると、ヨルダンもアラブの王国である。世界の人々は、ヨルダンの行方も注意していた。治安の悪化を懸念して、観光ツアーの対象から外した。観光客を遠ざける決定的要因となったのは、イスラム国による実行支配である。

 幸いにもヨルダンでは、他地域のように、王政打破を目指す国民の抗議活動は最小限にとどまった。以前としてハーシム家が王位を継ぎ、絶対的権限を持っている。統制がとれた社会だったからこそ、イスラム国は付け入る隙がなかった。治安は比較的良好だといえ、世界からは他のアラブ諸国とヨルダンを同一視する傾向があった。外貨獲得源の観光資源を失い、経済は苦しくなったのである。追い討ちをかけたのは、シリアからの多数の避難民だった。公共サービス(教育、保健医療、給水、廃棄物処理など)の負担により、政府の財源は苦しくなった。国民の所得が下がると、消費活動も停滞する。したがって、あらゆる産業が、雇用を維持できなくなった。労働者全体の失業率は18.4%、中でも15歳から19歳は47.7%、20歳から24歳は37.6%(2018年ヨルダン政府統計局)と、若年層に関して特に雇用問題が深刻だった。大学卒業者の失業率の高さや、男女間の雇用格差も問題となっている。

日本からもヨルダンに手を差し伸べている。人道支援団体ワールド・ビジョンジャパンでは、2014年以降シリア難民を中心に、同国で教育事情を実施している。同国では、北部においてシリア難民の子供たちが通う2部制の学校を開いた。入れ替え制により、一人の子供が学べる機会は限られ、教育の遅れが問題になっていた。一教室辺りのスペースから、机の数が足りず、教育環境は限られていたのである。学校での授業の代わりに、ワールド・ビジョンでは、シリア難民と現地ヨルダン国籍の子供たちに補習授業の場を提供した。紛争によるストレスの緩和や、子供たちを触れ合う機会を設けるべく、レクレーションを実施する。健やかな子供に育つには、人との交流、適切な教育が必要だった。ワールド・ビジョンは、『命を守る』、「取り戻す」、「未来を築く」の3つの理念の下に、活動を続けていく。

             第3章 日本政府との外交

以下 ALAB NEWS JAPAN 2023年9月4日付け記事引用
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_98881/

日本政府も難民を広く受け入れるヨルダン政府を支援している。2023年9月3日、ヨルダン改革プログラムに対して、150億円(1ドル=150円換算)相当の財政支援を行うことを表明した。経済近代化ビジョンの下に行われる今回の譲許的融資の名称は「電力セクター改革及び強靭性強化プログラム・ローン(フェーズII)」である。
9月3日(日曜日)、林芳正外務大臣とゼイナ・トーカーン計画・国際協力大臣は、アンマンのヨルダン外務省にて、アイマン・サファディ副首相兼外務・移民大臣の立ち会いの下、調印を行った。
林芳正外務大臣とトーカーン計画・国際協力大臣はまた、「電力系統運用能力強化計画」に対する8億9,700万円(約600万ドル相当)の無償資金協力についても交換公文に署名した。
今回の無償資金協力は、既存の古い保護リレー装置を基幹変電所の高性能デジタル保護リレー装置に交換することで、電力系統の運用を強化し、ヨルダンに安定した信頼度の高い電力供給を実現することを目的としている。
さらに、シリアとパレスチナの移民問題に取り組み、平和的解決のために国際努力を尽くすことを約束した。
福島第一原発について話し合う際、林外相はサファディ外相に対し、日本が国際原子力機関(IAEA)と協力し、計画が国際的な安全基準に合致していることを引き続き確認していくと述べた。
林外相は5日にエジプトを訪問し、3カ国閣僚級協議および第3回日・アラブ政治対話に参加し、日本・アラブ協力について意見交換を行う。7日には、第1回日・GCC外相会合に参加し、サウジアラビアにてサウジアラビア外相と会談する。

                         <引用終わり>

2024年10月7日に、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義を標榜する政党「ハマス」の戦闘員が、イスラエルの領土内へ越境攻撃を仕掛け、中東情勢は混迷を深めた。パレスチナのもう一つのヨルダン川西岸地区でもアラブ人とユダヤ人との間で散発的な争いが起きている。先行きを不安視したヨルダン川西岸地区の住民が、国境を接するヨルダン王国へと避難を始めた。ヨルダン王国は、難民の流入により、枯渇しがちな水資源を奪われ、食料不足に陥っている。難民に対する寛容な姿勢を日本政府は高く評価し、再び救いの手を差し伸べた。ガザ紛争を懸念して、アラブ地区を歴訪した岸田総理大臣は、2023年12月2日にUAEの最大都市ドバイにて、ヨルダン国王と会談した。

以下 詳細記事 写真掲載元 ALAB NEWS 2023年12月3日付 https://www.arabnews.jp/article/business/article_106115/
フォト

岸田総理は、アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン国王と60分に渡るワーキングランチの最中、経済・財政運営における改革が行われていることを確認する。新たに同年9月と同じく、1億ドル相当の財政支援を表明した。現在のガザ情勢についても協議した。11月24日から、2度の延長を経て、11月30日までの7日間、人質の解放と引き換えに、休戦が実現したことについても触れる。両首脳は、すべての当事者が国際法を順守し、一刻も早く事態を沈静化するための合意に立ち戻るように願っていると、声明を発表した

 ヨルダン政府ハサーウネ首相は、11月6日の段階で、イスラエル軍によるガザ地区の侵攻を非難し、「あらゆる措置をとる」と声明を出していた。10月7日のハマスによる奇襲攻撃により、同国から出国したイスラエルの大使について、帰任を認めないと、反対姿勢を明確にする。ヨルダン政府の内部に詳しい外交官によると、1994年のイスラエルとの和平条約の見直しに向けて検討しているという。ヨルダン政府は、ガザに閉じ込められた民間人の行方を懸念し、アラブ諸国と共に他の国々とも協議する姿勢を示している。

 詳細 2023年11月7日付 REUTERS https://jp.reuters.com/world/us/QSA3K7BMX5MJBEPQRJCL7PKPZQ-2023-11-06/


   第4章 2024年2月9日付け 最新ガザ情勢 

イスラエル軍のガザ侵攻により、中東各地域へ戦火が飛び火しつつある。イスラエルに肩を持つアメリカ軍施設は、格好の標的になる。1月28日に、ヨルダン・ハシェミテ王国の米軍施設「タワー22」が、無人機の攻撃により、兵士3名の命が失われ、数十人のけが人を出した。

 詳細 REUTERS 2024年1月31日付 https://jp.reuters.com/economy/RGRTS4UJK5NBPHMSM2UAQ63CWQ-2024-01-31/

 アメリカはただちに報復に出る、中東を管轄する米中央軍などによると、米東部時間2日午後4時ごろ、イラクの3施設、シリアの4施設に対し約30分間にわたり、125発以上の精密弾を撃ち込んだ。

 詳細 BBC NEWS JAPAN 2024年2月3日付 https://www.bbc.com/japanese/articles/cerm411zy18o

 軍事施設をターゲットにしたとはいえ、民間人の被害も確認されている。イラク政府は3日、米軍の攻撃で民間人を含む16人が死亡し、25人が負傷したと発表した。、シリアの反体制派の在英NGO「シリア人権監視団」は、米軍の攻撃によりシリアで少なくとも18人の民兵が死亡したと発表した。(ワシントン=下司佳代子)


 
中東地域で緊張状態を和らげるべく、アメリカのブリンケン国防長官が、2月2日から8日の日程で、歴訪している。2月6日、カタールの首都ドーハにて、停戦協議の調停役のタミム首相から、ハマス側が作成した停戦案を取りまとめた文章を渡されたという。

イスラエルのエルサレムで7日の記者会見にて、ハマス側が提案した休戦と引き換えに人質解放案について、「合意に達する余地がある」との見通しを示した。イスラエルの軍事作戦については、「罪のない市民に与える影響があまりにも大きい」と率直に述べた。

 ブリンケン国防長官は、イスラエルの軍事作戦の正当性について問われた際、言及を避けた。中東地域の紛争拡大を懸念して、イスラエルの安全保障体制に負担をかけるような発言を慎むようにと、西欧諸国に釘をさした。

 詳細 ブリンケン国防長官のイスラエルのエルサレムでの会談 JESTRO 2024年2月9日付 https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/02/3bf3896a6add6d21.html

間もなく2年を迎えるロシア軍によるウクライナ侵攻と同じく、戦況が長引くことにより、町の破壊と共に、尊い人々の命も奪われる。 イスラエル軍報道官は6日、拘束が続いているとされていた130人以上の人質のうち、31人の死亡を確認したと明らかにした。

 民族を超えて融和に程遠い環境が続く。ガザ地区とヨルダン川西岸地区から成るパレスチナ難民の最大の受け皿はヨルダン・ハシェミテ王国だった。2023年11月30日にアブドラ国王は、国連の支援当局者らや国際団体に対し、人道状況が一段と悪化しているパレスチナ自治区ガザへの支援受け入れを拡大するようイスラエルに圧力をかけるよう求めた。230万の住民が、国境を閉ざされたことにより、逃げ場を失い、常に命の危険にさらされている。エジプトの国境に近いラファでは、地区の北部から人口が流入したことにより、過密状態にさらされた。平時の人口は28万、2月9日付のAP通信の報道によると、人口150万以上に膨れ上がっているという。衛星写真を見ると、立錐の余地もないほどテントが立ち並んでいる様子がわかる。ハマスが停戦を呼びかけている以上、イスラエルが応じるか否かにかかる。イスラエルとの経済的結びつきが深いアメリカの行方が鍵を握る。妥協なき戦いが続く。

 写真=2024年2月10日のラファ 瓦礫の中を捜索する人々 掲載元 JlJl.com https://www.jiji.com/jc/article?k=2024021000402&g=int&p=20240210at67S&rel=pv
フォト

   第5章 砂漠の中に姿を表したペトラ遺跡

 詳細 写真掲載元 世界遺産オンラインガイドより https://worldheritagesite.xyz/petra/

 ヨルダンの観光資源については、第一に挙げられるのは、1985年にユネスコ世界遺産に登録されたペトラ遺跡である。ぺトラとはギリシャ語で柱を意味する。同国南部の乾燥した山岳地帯に突如現れた神殿は、謎の文明として後世の歴史家の間でも語り継がれた。2000年前に定住した砂漠の民ナバテア人が、高い建築技術を持っていたことをうかがい知ることができる。香辛料の交易により繁栄を極め、当時のアラビア半島の一大都市を築いた。紀元後106年にローマ帝国のトラヤヌスにより征服され、アラビア・ペトラエア属州に組み込まれ、滅亡の道を辿った。4世紀に大地震の影響により、岩山が崩れ、都市群が埋没したのである。1812年にスイス人の探検家に発見されるまで土の中で眠っていた。

 ユダヤ教にとっても神聖な地である。紀元前13世紀旧約聖書に登場するユダヤ人指導者、モーゼが、出エジプトからエルサレムへ向う道中、ペトラに足跡を残した。兄アーロンを山中に埋葬した。時を経て、考古学者によって発掘されている。町の入り口の「ワディ・ムーサ(モーゼの泉)」は、モーゼが杖を叩いて出来たとの所以がある。

ナバテア王国が栄えた時代、地理的要因から中国とローマ帝国の交通の要衝にあたっていた。かの有名なアレクサンドロス大王により、ギリシャ文化と東方文化が合わさり「ヘレニズム文化」が生まれる。古代ギリシャ人によって創造された建築が、代表例だ。

 アラブ人の一種ナバテア人は、岩をくりぬいて、幾本も並ぶ柱を基礎とした建築物や彫刻品を生み出した。人々の定住生活に欠かせない水資源にも恵まれていた。遺跡の中心部へ続く、長さ1,5km、幅2m、両側の絶壁の高さ90〜180mになる峡谷(シーク)には、運河の痕跡が残っている。壁に刻まれた祈祷用の碑や彫刻、霊石の存在から、渓谷は神聖な場所だったことがわかる。その証拠に遺跡の中心部からシークの中を進むこと、一段と幅が狭くなった終着地からエル・ハズネ(宝物殿)の外観の一部分となる柱が顔を出す。

 写真=シーク  写真=一部分姿を見せたエル・ハズネ
フォトフォト

両壁に閉ざされた影響により、すぐそばまで近づかなければ、全体像は分からない。水が流れていた時代、ナバテア人が、筏やカヌーを使って、宝物殿へ向う様子を描くことができる。容易に近づくことはできず、神に許された人のみが、立ち入ることができたと考えられる。エル・ハズネは高さ約40m、幅約25mあり、紀元前30年〜9年の間に建設された。神殿内を発掘調査した結果、考古学者が期待していたエジプトのファラオの墓に出土する宝物は未発見だった。遺跡群からギリシャ、エジプト、アッシリアなど、西アジアとギリシャ、エジプト文明が交差することにより、多様な文化が育まれていたことがわかる。遺跡保護の観点から特別許可を与えられた調査隊以外、中の見学はできない。王家の墓だったのか、それとも神殿だったのか、謎に包まれている。

 写真=エルハズネ
フォトフォト

 エル・ハズネ(宝物殿)からさらに奥に伸びるファサードを進むと、ローマ円形劇場、墓地群、凱旋門にたどり着く。遺跡の存在から、ナバテア人が、ローマ人に征服されていた証拠である。凱旋門の周囲には、町が形成され、王家の墓や神殿があったのではないかと考古学者は推測している。
太古の町から、起伏のある山道へと向う。最終到達地は、高さ約45m、幅50mのエド・ディル(修道院)である。標高1,000m、、900段以上の階段を登り切った先で、聖者達が祈りをささげた。紀元106年、ペトラがローマ帝国に併合された後、キリスト教の修道士が暮らしていた。実際は神殿だったという。

 写真=エルディル
フォトフォト
 
 修道院の先は、行き止まりだった。切り立った岩山の頂上に立つと、澄んだ青空に、尖った岩がつきあがっているように見える。双眼鏡をのぞくと、後方へと鋭角の岩山が続いていることがわかる。岩の難所を乗り越え、その先のおぼろげながら浮かび上がる平地の砂漠地帯は、イスラエル領である。

 古代都市ぺトラは、中東切手の人気を誇る世界遺産、観光客が立ち入ることにより、地元ではホテルやみやげ物屋が立ち並ぶ。産業が乏しい同国の貴重な雇用創出源である。

写真=ペトラ遺跡エル・ハズネのライトアップ 掲載元 旅専より
https://www.tabisen.com/tabisen/harmony/post-2835.html
フォト

 ヨルダンは、パレスチナを中心に、イラクやシリアから難民を受け入れた。寛容的な姿勢が評価され、技術立国の日本からも支援を受ける。外交的には、イスラエルに肩を持つアメリカと、アラブ諸国の橋渡しのような存在になる。難民流入により、経済的・社会的負担を強いられながら、先進国からの援助を受けて、安定した社会を目指して突き進んでいく。

 

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