先日のことになるが
ドクター急病で検査が出来なかった日は
https://ameblo.jp/oneself2012/entry-12815204680.html
帰りに地下街をふらふら歩いていたら
「昭和レトロ展」のポスターが目に入った。
検査は延期で思わぬ時間が出来たので
まっすぐ帰らず寄ってみることに。
デパートの催事場で開催のそれは
最上階フロアのエレベーターの扉が開くと
ナポリタンとかタコ焼きの匂いが立ち込め、
食べるコーナーは大混雑。
そこですいているスペースを探して歩くと、
ジオラマコーナーに。
わわ〜っ、
昭和30年代後半の池袋駅前でないの|!
実はほんの1年くらいだけど、
ドンピシャ、この頃、
我が家はこの池袋に住んでいたのだ。
今なら「池袋なんていいわねぇ」
と言われそうだけど、
あの頃の東京はどこも
大抵うらぶれた町だった。
池袋の駅前は両足のない傷病兵が
軍服を着て膝をついて
アコーディオンで物悲しい軍歌を弾いて
物乞いをしていた。
(まだ戦後10年ちょっとだったから)
とにかく子供には怖い駅前だった。
そんなことを思って見ていたら
いくつかの記憶が蘇ってきた。
そうそう、
昔の東武百貨店のマークはこれこれ。
そうそう、
デパートのすれすれまで家が建ってたよ。
(*_*;
池袋に住む前は荻窪の四畳半一間の
アパートにいたのだが
(映画「ALWAYS 三丁目」まんまの世界だった)
南京虫(←死語?絶滅種?)が出て
住むのが大変になり、
友達の家に遊びに行くと
「東荻荘の子とは遊んじゃいけないってさ」
と言われるようになり、
さすがの気丈な両親もへこんで
池袋に引っ越したのだ。
この時期、私はほんとは
幼稚園に行く年頃だったけど、
家計のきりつめで
同じような経済事情のアパートの子と
日がな一日遊んでいた。
だからなのか写真が一枚もない。。。
さてさっき時々チェックするライターさんの
noteの文章をまとめ読みしていたら
この時の私の気持ちに素敵な輪郭を
つけてくれるような文章を発見。
↓
”メールやLINEが消えて、
写真やビデオが消えて、
ソーシャルメディアの
ぜんぶが消えてしまったとしても、
それは「あった」んだ。
自分の大事なあの人は「いた」のだし、
それは「あった」のだ。
〜古賀史健
「その記憶が消えてしまったとしても。」より〜
今や必需品のスマートフォン。
でもよくよく考えたら、
私自身はスマートフォンなんてないままで
生きてた年月の方がずっと長いのよね。
(;^ω^)
だから元々は「あったこと」を、
自分の中に「想い出」として残すことを、
身に付けていたはずなのに
この感覚を忘れていたわ。
メールや写真が消えしまったとしても、
それは確かに「あった」んだ。
あの催事場でのジオラマの周りには
同年代の方が数名、
私のようにガラスに顔が
くっつくようにして見入っていた。
きっとじっと見ることで、
「あったこと」として、
ずっと消えない何かを
焼き付けていたのだろう。
焼き付けて
消えないものになった記憶は
決して失われないものになるはず。
【補記】
(1)8/1付でHP更新
http://oneself.life.coocan.jp/
(2)認定トレーナーの開講日程 を7/26付で更新
http://orion-angelica.jp/oneselfcard/
(3)この内容とはまた違う観点で綴る
「ワンセルフカードの広場」
https://ameblo.jp/oneself2012/
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