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2022年12月04日01:02

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【映画】『川のながれに』

なすしおばら映画祭用に作られた郷土映画/街興し映画だが、小規模ながら東京でも公開が始まった。何故そんなマイナーな映画を見たかと言えば、監督・脚本・編集の杉山嘉一という人物が四半世紀前からの友人だから。
だがこの作品、実は最初に配信で見た時はまったく感心しなかった。だからその時は武士の情けで口を閉ざしていたし、今回も義理で見に行ったようなものだったが、映画館のスクリーンで見ると、これが意外にも悪くない。パソコンのモニターで見た時とかなり印象が違う。
 
那須塩原を舞台に、一人の青年が、母の死をきっかけに自らの生き方を見直し、人生の新たな選択に臨む物語。あまり器用とは言えないが、作者の人生に対する思いが愚直なほどストレートに伝わる内容で胸を打たれる。
ではなぜ配信で見た時気に入らなかったのか? その時もっとも強く感じた不満は「作品のテーマを台詞でベラベラと語り過ぎ。映画なんだから、もっと映像で表現しろよ」というもの。だが実はこれ、台詞では何ひとつ直接的なテーマを語ることなく、とてつもなく深いテーマを描いてしまった名作中の名作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を、直前に見たことが大きな影響を与えている。しかし当たり前のことだが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』と比較したら、そりゃ世の中の映画の99.99%は語りすぎなのである。つまり『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の方が異常。
その呪縛を離れて劇場で見直せば、標準より語りすぎではあるものの、そこまで致命的な問題にはなっていない。むしろ今回見ると、至るところに散りばめられたユーモア溢れる台詞に笑わされ、「あれ?この映画、こんなに洒落た台詞があったっけ?」と感心するほどだった。
 
何故それだけ印象が違うのか?と考えていったとき、興味深い結論が出てくる。それはパソコンモニターとスクリーンの大きさの違いではなく、何かに気を散らされることが多い家での鑑賞と映画館の観賞では、時間感覚がまるで違うということだ。家で時間を寸断されるような見方をしていると、テーマが明確に出ているような台詞が語られるところばかり拾ってしまい、その間に流れる映画的な時間を拾い損ねてしまう。確かこの映画を見ている最中にガス給湯器が壊れててんやわんやの騒ぎとなり、日を分けて見たはず。そのような見方をすると、この映画に流れる文字通り川のような時間の流れ、そこに含まれる人生に対する問いかけについて、我が身に引き寄せて考える時間が失われてしまうのだ。
しかし今回は映画館で集中しての105分間。地味ではあるが決して流れを止めることがない、まさしく日本の川のような映画は、意外なほど豊かな表情を見せ、「変わることの価値と、変わらないことの価値」について多くのことを考えさせてくれる。
 
惜しむらくは撮影がイマイチ。重要な会話シーンでは、もっと背景をぼかして人物だけを立て、自然と人間が一体化したような引きのシーンとのメリハリをつけるべき。いくら那須塩原のご当地映画とは言え、ドラマ的に必要無いところで自然の膨大な情報量を出し過ぎれば、物語の焦点がぼけるだけだ。また、なぜ色彩がこんなに不安定なのだろうか。人の肌まで全体に赤かったりして、ホワイトバランスとかちゃんと取っているのかという素朴な疑問さえ湧いてくる。キェシロフスキ映画のように明確なトーンで貫かれていればともかく、これでは単に色彩設計に気を使っていないようにしか見えない。
そんな映像の難点を救っているのが音楽。ほぼクラシックギター1本で奏でられる音楽が非常に大きな効果を挙げていることを再確認。終盤、ある場所を目ざす部分など、少し長すぎると思うのだが、それでもさほど退屈しないのは、あの音楽のリズムがあればこそ。
 
大傑作とは言えないし、不器用な部分も目立つが、むしろその不器用さが物語の内容と相まって、静かに心に染みる映画だ。

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