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2021年10月10日00:32

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運命の仕事

人が得た能力と言うのは結果であって、それは持って生まれた特性と後から行った努力で決まりますけれど、環境にも影響されます。「親は、一人目の子供を持つと環境論者になり、二人目以降で才能論者になる」のようなことが言われますし、実際、自分が二人の子供を育ててみて、同じような環境でもそれぞれが興味を持つことが大きく異なるのを実感しました。ただ、だからと言って環境が与える影響が小さいのかはまた別の話で、よその子供と比べれば二人の共通点はかなり多いのも(我が家の教育方針が若干特殊だったかもしれない影響もあるかも?)確かです。

まれに、特性と環境の組み合わせによっては、同じ環境が正反対に影響するようなこともあるでしょうけれど、大抵は、特定の環境は同じような影響を与えることになります。(影響が異なる場合とは、同じ音を聞いて、「うるさい」と感じると子供にとっては騒がしい環境になれば、全く気にならない子供にとっては静かな環境であり、騒がしい場所としての影響と静かな場所としての影響を受けて育つ、など)。その考えに基づいて、現在の教育制度は、子供たちに如何に同じ環境を与えるかを前提に組み立てられていますけれど、実際には就学時点で特性と環境によって学ぶ能力に差がついており、努力についても「努力をする能力」に差がついてしまい、いわゆる貧困の連鎖につながります。

ひと昔前のディストピア(ユートピアの反語)SFなどでは、子供を出生時に集めてスタート時点から教育格差をなくす管理社会がしばしば描かれて、それは「親の愛を感じられない不幸」を生み、その制度を是正して「子供が親の愛情を受けて育てる社会」を取り戻す物語だったりするわけで、子供の「親の愛情」に対する感度が様々であるのと同様に、親の愛情も(その有無を含め)様々であることを無視したハッピーエンドだったりしますけれど、実際には親と一緒でも愛情を受けられない子供もいますし、逆もまた然りとなります。さらには、愛情はあっても子供に「良く生きるための能力」を与える能力が親になければ、子供が貧困に陥る可能性がありますから、子供が親に関係なく育つことのできる社会が必ずしもディストピアとは言い切れません。

ともあれ、現在では就学前の学習環境は親次第ですし、就学以降も帰宅後の環境は親の大きな影響を受けます。ひと昔前には親が特定されてはいても子育ては共同体で行っている場合も多く、環境の不公平是正にある程度貢献していたでしょうけれど、いずれにしても、環境のばらつきが大きいことに違いはありません。それが悪いのかと言えば、必ずしもそうとは言えず、子供の能力の差異吸収がしやすくなるのも事実です。

貧困の連鎖は大きな社会問題であることは間違いありませんけれど、全員が進学したいというわけではありませんし、それは純粋に勉強が嫌いだからだったりすることもあり、一律の環境が有効とは限りません。いずれにしても、本人の特性と合った教育が受けられ、社会により大きな貢献をできるようになってほしいものです。
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