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2021年10月16日09:15

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その英国の地政学的理想状態をぶっ壊したのが他ならぬ日本

「地政学」というのが最近やたらと持ち上げられているが、アレを過信するのはどうかと思う。アレは学問の皮をかぶった19世紀帝国主義列強の国策方針、もっと言えばイデオロギーに過ぎないからである。

そもそも、日英同盟を覆して香港・シンガポール・英領マラヤ・ビルマといったイギリスの拠点(植民地)を占領し、インドにも攻め込もうとして、東〜南アジアにおける英国の覇権を……地政学における理想状態をぶち壊しにしたのが他でもない、太平洋戦争期の大日本帝国であった。そして、第二次世界大戦後に東南アジアや南アジアの国々は独立して、英国の覇権は二度と戻ってこなかった。

それにイギリスは三回にわたってアフガニスタンと戦争して手痛い敗北を被り、アフガニスタンが「帝国の墓場」の異名をとる契機を作ったが、地政学的に見れば、イギリスが海に囲まれ、海をベースに外へ勢力を広げていく国、いわゆる「シーパワー」だとすれば、そもそもアフガニスタンみたいな内陸地域に手を出したのが間違いだったということになるはずではないか。

出口治明氏は以前「国は引っ越せないから、地政学が生まれた」と述べたことがあるが、たとえば現在のトルコ共和国があるアナトリア半島は、紀元前何世紀も前からギリシアの文化圏であったし、テュルク(トルコ)民族はもともと中央アジア出身の民族だった。しかし、テュルク系のセルチュク(セルジューク)族が中央アジアからイラン経由でアナトリア半島に進出・定着した。そのテュルク系戦士集団の中から台頭したのがオスマン帝国で、彼等はかつての東ローマ(ビザンチン)帝国の首都コンスタンチノープルを陥落させ、同時に東ローマ帝国そのものを滅ぼしてここをイスタンブールと改称して首都と定めて、やがて東欧と中近東に覇を唱えた。こんな具合に遊牧民の場合は大地に縛られずに本拠地を移動し得るので、「地」政学などという考え方は生まれないわけである。

こうしてみると、モンゴルだのオスマン帝国だのといった遊牧民(起源の)国家を意識する必要がなくなった後、イギリス・ドイツ・アメリカといった列強が帝国主義政策に乗り出した時に、その政策を正当化・裏打ちし、方向づける御用学問として登場したのが地政学だと理解できる。

むしろ中国のほうが、すでに欧米地政学のこんな如何わしさ・うさん臭さをよく認識しているように見える。一帯一路はよく中国の地政学と言われるが、そのメインルートを虚心に見れば、欧米地政学でいうランドパワーだのシーパワーだのといった観念にはとらわれていないようで、それよりむしろモンゴル帝国の交易路そっくりである。

日本ももう、地政学などという19世紀欧米帝国主義の遺物を有難がってランドパワーだのシーパワーだのという観念を金科玉条として振り回すのをやめて、自国流の外交戦略を考えるべき時が来ていると思う。

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地政学における理想は19世紀の英国 
日本は「海の勢力」の自覚を

10/14(木) 19:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7fd5467b911fbedb0a8784fb12f25d4b6e4ecab
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