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2020年11月13日10:14

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歌って笑って暮らせよ

[あらまし] 2020年はブギーの年。ってことにした。
服部良一作曲、笠置シヅ子の歌った『東京ブギウギ』と『ヘイヘイブギ』を
演奏したよ。
見ろ↓ 見てね↓ 見てください↓ ませ↓
https://www.youtube.com/watch?v=zUX3NpfnE70

家のあちこちを片付けている。
あちこちとはあちこちで、片付けを進めていない場所が無い、というほどだ。

子どもの頃から、片付けろ片付けろと母によく言われた。
その母は6月末に特別養護老人ホームに入居した。

冬物を届けなければいけない。
押し入れを開ける。
ここも片付けの進行中だ。

古い布団を何枚も捨てた。
中には懐かしいものも有った。
しかし、使うかと言ったら、使わなそうだ。
思い出は写真にだけ残すことにして、処分した。
古くて厚ぼったくて異常に重たいカーテンも捨てた。

断捨離という流行にはまるで賛成していない。
創意を得た時に材料が手元に有ると、円滑に実体化できる。
他人から見たらガラクタの山に見えるところから色々生まれるのだ、
とすら思っている。

友人Mもあれこれと造る人だ。
毛糸や針金やガラスなど、柔らかいものから硬いものまで扱う。
部屋の中は材料のガラクタと資料の本の山で足の踏み場も無い。
Mの母M子がしばしば「ごみだらけ」と言っているのを耳にしたことがある。
同居の身内に分からんのがいると、疲れるだろうな、と思い、
我が身を振り返る。

なんだっけ。どこだっけ。あ、押し入れ。
大きな衣装ケースがいくつも入っている。
母の服がたくさん有る。
すごい量だ。
何年も着ていない服も多い。

何年も使っていない物こそ、捨てていい物ではないか。
友人Mのガラクタはこれから何かの作品になる物だ。
母の服はもう着ないものだ。「貰い物だし捨てにくい」などの理由でしまってある。

和箪笥に和服がいっぱい詰まっている。
母は和服を着なかった。
なんてこった、何十年もここで和箪笥の中で持ち腐れているだけだ。
それと別に洋箪笥が有る。

こっちに置いてあるミシン、足踏みミシンで立派な棚型のヤツ、
これも何十年置いてあるだけだ。

あれれ
「片付けなさい片付けなさい」と言われていたけれど、
家の中で幅を取ってしかも使わずに動いていない物は
母の物が大きいではないか。

なんだろう、ずいぶんな言われ方をしてきたことに、
ふっと腹が立ってきた。
おお、
怒りの感情は、なんだか久しぶりだ。

そうだ、
私はくよくよと思い患う気持ちを、怒りで吹き飛ばして生きてきた。
東洋医学的に言うと、木克土。
思を怒で剋するのだ。
表面的におこりんぼに見えるのは、
その前にくよくよが有るからなのだ。

まあ、怒って解決するわけではない。
思い患いの種が多いと、へこたれてしまわないように、
怒りに転換する。
しかし怒ってばかりでもくたびれてしまう。
くたびれて怒るのをやめると、くよくよに戻る。

そんなふうにやってきたなあ
いつからだろう?十代からかな。いやもっと前か。

別の方法は無いか?
いろいろ有る。
一つの方法しか持っていないと、続けていて疲れたり、行き詰ったりしてしまう。
いろいろな方法を身に付けられたら、使い分けていける。

なんだっけ。押し入れか。
母の服は、衣替えのたびに運び、一年かけてホームに移していこう。
着ないものは返してもらって処分すればいい。



東洋医学的に言って、思い患いを怒りで剋しているわけだが、
怒りを剋するものは憂い悲しみであるという。
怒り疲れたときにやってくる悲しい無力感はそれか。
では憂い悲しみを剋するのは何かというと、喜びだという。

なんでしょね。
このへんで解決できると良さそうだわね。



『ヘイヘイブギ』の歌詞にはこうある。
「二人で笑って暮らせば ラッキーカムカム
センチな歌など みんな忘れて」
これやね。

続く歌詞はこうだ。
「ワッハッハッハッハッハッハ ワッハッハッハッハッハッハ
エヘヘウフフオホホイヒヒ ラランラララララ」
これよね。

「昔から笑う門にはラッキーカムカム」
ラッキー呼ぶのも自分てことね。

だから
見てね♪
https://www.youtube.com/watch?v=zUX3NpfnE70
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