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2020年09月03日19:16

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ガンダム作品における裏側の思惑

こんばんは、月影TAKAです。
今回は「ガンダム作品における裏側の思惑」について語ります。

まあ、言っちまえば「黒いサンライズの法則」と言います。
これの流れは「コミックボンボン⇒ガンダムエースに何故チェンジしたのか?」ということ。
これにも実は「サンライズならではの黒い法則」が存在する。
それが「世代交代という名の人気取りの手段」である。
考えてみて欲しい「2001年とはどんな年?」と言えば「ネットが大体的に普及して民間からインターネットの書き込みが大量発生した年」ともいえる。
簡単に言えば「ネット世代(この頃に幼稚園児や小学生なら十分ネット世代である)全盛期」が2001年。

昔の日記でも書いたけど「2000年にWINDOWS MEが発売された」のは知ってるよね?
そして、WINDOWS95と98は「ネット開拓時代」というまだインターネットの普及が浅いころで一部のオタクやマニアが弄り始めた時代である。
私も小3か小4で親がWINDOWS95を親がパソコンにインストールしてはじめてバーチャロンやっとのは覚えている。
この時頃ぐらいだと「一応、小学校にもパソコンの授業があった」くらいであるが「インターネットはわざとさせなかった(閲覧禁止サイトに入ることを阻止するため)」法則がある。
ようは「簡単なワードやエクセル、ペイントを触らせる授業」程度のものがあるレベルだった。
そして、上記にあるように2000年にWINDOWS MEが登場して2001年にガンダムエースが登場する。
これをもし「サンライズが予想していた」なら「ネット世代のためにガンダム作品をボンボンなどから奪い取って角川等にネット世代に受けるようなガンダム漫画の土台を作らせた」なら酷い話である。
しかし、「SDガンダムはコミックボンボンから派生した作品だからサンライズと角川にはやらんexclamation ×2」と当時の講談社の担当の人が踏ん張ってくれたから、昨今に至るまで「SDガンダムはボンボンの物⇒ボンボン読者のためにSDガンダムがある」という法則が存在する。
「サンライズと角川がやたらとSDガンダムを冷遇する(漫画表現やアニメ演出でSDガンダムをいじめるような演出を入れる)」のは、SDガンダムの版権が本来サンライズには無いという怒りの裏返しとも言える。

で、「ガンダムエースはネット世代の巣窟」と考えれば、ネット世代は自分達の巣窟を守るために「巣窟を潰そうとする加工性のある連中を潰そうとけん制する」のは当然のことをやらかす(そこを失うとガンダム文化において自分達が外様に置かれるのが分かっていたためである)。

ネット世代最初期とは「みんな揃って用意ドン」というような世界であり「何か大きなものを打ち立てた時点でそれが文化となり波となる」のがネット時代である。
逆に言えば「ネット時代以前の物」は「資料が無ければ過去の物」「解析できなければないのと同じ」とされてしまい、話題にも浮上しない。
特にこれが大きかったのが2001年〜2005年であり、特に2004年〜2005年の「ネット掲示板」や「アニメのファンサイト」という集まりではこの内容が伝説的になり、「この内容を含まない話題はモグリにされる」ぐらいの差別があったくらいである。
そんな中で「コミックボンボンが枯渇し、廃業する」のはある種の自然の流れであったとも言えるが、そうであったとしても「サンライズが講談社もといコミックボンボンに歩み寄っていたら」と考えるとやるせない気持ちはある。
例えば「電子書籍」の走りとして「ボンボン資料館」としてボンボンの昔の漫画を電子化し一部を無料配布する等したら、コミックボンボンの魅力は今以上に残っていた可能性はある。

故に「黒いサンライズ」というのははっきりと存在すると言える。
何故なら「ガンダムエースが出てくる」のは実は「明らかにわかっていたこと」である。
それが「出せるはずもないアナザーガンダム4作目製作発表」がSDガンダム英雄伝の頃に発表されていたことである。
もちろんだが「ターンエーがあった時点でそんなことは不可能である」のはみんな分かっていた。
つまり「アナザーガンダム4作目はいつかは出るだろうが、それを出すのはボンボン主導ではない」というのは小学生だった自分にははっきりとわかっていた。
逆に言えば、その小学生にも「いつか」の予想ははっきりとわかる。
その「いつか」が「ガンダムエース」であり、「ボンボンが終わって別のガンダム漫画雑誌が出る」のはわかっていた。
当然だけど、その頃に既に平行線上で「ホビージャパンに手を出す」流れだったので「新ガンダム漫画の予見」はある程度情報としては流れていた。
しかし、ガンダムエース1作目のイメージは自分達の考えているものよりも別の意味では「遥かに酷かった」のは確実だった。

「誰が介錯さんにガンダム作品を描かせたのだろうか…」ということ。
もちろんだが「介錯さんの絵が嫌い」ということは絶対に無い。
鋼鉄天使くるみにはカルチャーショックを覚えながらも少しラブコメチックで当時はハマったし、良い作品を多く各漫画家さんであることは知っている。
しかし問題は「どうして介錯さんを起用したのか?」という点だった。
その秘密は「介錯先生が月刊少年エースで鋼鉄天使くるみを描いていた」ことにある。
つまりは「角川書店が自分の持ち漫画雑誌の漫画家さんにガンダム漫画を描かせて数合わせをしていた」のがガンダムエースという漫画の出発点である。

別にこれが悪いわけではない。角川書店がガンダムエースを出すという事は「角川書店が契約している漫画家さんにガンダム漫画を描いてもらう」ことになる。

しかし、そのイメージは「ガンダム漫画ファンが考えるコミックボンボンのノリ」とは完全に異なる物であり、どちらかというと「むしろガンダム作品としては邪魔になる内容をわざと入れて描かれていることが多い」くらいの作品とも言えた。
それ故に「ときた先生を招き入れた」となる。
いわばときた先生を起用するということは「コミックボンボン読者をガンダムエースに誘導する為の発信機」みたいなものである。
とくに「ときた先生のアナザーガンダム」の読者はそれ目当てに押し寄せるんだよな。
でも、その陰で「神田先生の武者頑駄無が無い…」として落胆したのは覚えている。

そういうのがしばらく続き、サンライズと角川はある一つの大きな過ちに気づく。
それが「ボンボンよりもガンダムエースの人気が出ないのは話題作が無いからだexclamation ×2」と言う事だった。
当然だけど、ボンボンからガンダム作品を奪い取っても「ボンボンはSDガンダム・リアルガンダム共に話題作りをするのが上手かった」ことが雑誌人気を支える特徴でもあった。
しかし、ガンダムエースにはこの「話題作り」をする要素が壊滅的に無くて結局は「ガンダム作品に不慣れな角川漫画家が下手くそ気味に自分の作りたい世界観そのままに歴代ガンダム作品を改変して勝手に作る」というサンライズが考えていた効果とは真逆の事をやり始めたのである。
当然だよな…いくらガンダム作品と言えど「ガンダム作品全部をサンライズが作ったわけではない」としてサンライズは大きな勘違いをしていたのだから。
「ガンダムは有名だからそれだけをまとめた漫画を出せば必ず売れる」というのはアニメ会社のうぬぼれであり、最大の失墜ともいえる。
それ故に「アナザーガンダム4作目であるガンダムSEEDが始動した」とも言える。
当然だけど「サンライズがSDガンダムアニメを作った」からといっても「ガンダムエースにSDガンダムフォースを入れられるとは限らない」というのが実状。
なぜなら「SDガンダムの版権の強い部分は講談社が持っている」のが実状であり、SDガンダムの作品全般は主に「コミックボンボン」で連載された。
故に「サンライズは講談社に出し抜かれたことがある」のが実状であり、サンライズによるSDガンダムの冷遇や小川P等の社員はこの要素と関係しているのではないかと考えられる。

このように「ガンダムエースはガンダムSEEDによって連載停止を免れた」経緯があり、これがネットにおけるガンダムSEED勢の強気発言の根拠になっているのではないかと思いますね。
これが次第に00、鉄血と続いて言って昨今の「ネットにおけるガンダム世代の言い合い」に発展している気がしますね。

今日はこんな感じです。
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