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2020年06月20日14:53

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第64話

「何を話してええかわからん。何の話が聞きたいんや?」
 おばあの年代記を聞くのは失礼だと思った。ここでひとり民宿を経営しているおばあは恐らくずいぶん苦労もしただろう。あの壁を築くにはそれなりの辛い記憶もあるのだろう。そんなものを掘り返したくはない。
「この島で暮らしてて一番いいことと一番困ることを聞きたいです。いいですか?」
 ハリが言った。
「そんなことならな。こんななーんもない島だがそれなりにええこともあるもんでな。中でも硫黄岳を眺めとるのが私は一番や。・・・・」
 人口は百人そこそこ。人当たりのよくないおばあのことも島の人たちはよくわかってくれているそうだが、やっぱりつきあいは苦手なようだった。硫黄岳を愛するというおばあの気持ちは何となく理解できた。
 おばあは辛いときも悲しいときも硫黄岳に力をもらうと言う。地球が生きているのがわかるからだそうだ。「あんたもそのまま生きとったらええ」と言ってもらえるのだそうだ。そんなおばあの硫黄岳にまつわる話はおもしろかった。情緒的な話だけでなく、意外と言えば失礼だが、学術的な知識も豊富だった。
 硫黄岳以外のいいことや困ったことの話は全く出てこなかったが、そんなことはどっちでもよかった。ハリは硫黄岳を語るおばあの顔がとても素敵だと思った。おばあと彼は焼酎もたくさん飲んだ。夜はたっぷりと更けていた。

「おばあ素敵だったねぇ」
「うん、本当に硫黄岳が好きなんだね」
 ふたりは並んで横になり、硫黄島最後の夜に身を任せていた。
「おばあ、大丈夫だよね?」
「ん?」
「穴開けちゃったかもしれないけどってこと」
「ああ、きっと大丈夫。いや、むしろハリはもしかしたらおばあに置き土産をしたかもしれないよ。まぁ、それは希望的観測だけど、でも、どっちにしてもおばあには硫黄岳がついててくれるから」
          フォト 
「そうだね。私にもお父さんがついててくれる」
「ちょっと照れる」
「お父さんってばそこは、ぼくにもハリがついててくれるって言ってよ」
「ごめんごめん。それはもっと照れる」
 けれど、自分にもハリがついていてくれると彼は心の中で言う。
 今日はハリの生い立ちと言えばいいのか、衝撃的な打ち明け話を聞かされた。文字通りあまりに浮世離れした話で現実味がなかったからか、彼には昨夜と今夜とが何も変わっていないように思えた。そしてそれはきっといいことなのだと思った。ハリがたとえ自分とは異世界に生きる存在であり、その存在に実体があろうとなかろうと、彼にとってのハリという存在はもう既に彼の中で確かな形を成している。
 「お父さん」と、今夜のハリは呼びかけなかった。それでもするっと彼の懐に潜り込み、「おやすみなさい」と言う。彼は答える替わりにハリの繊細な髪を撫でる。それからふと昼に東温泉で出会った老人の、ハリと同い年で亡くなった娘を思い、ハリの背中で手を組み合わせる。寝損ねたのだろうか、クジャクがひと声、鋭く泣き声を響かせる。それはハリの朝食を食べたクジャクかもしれない。余った昼の弁当を食べたクジャクかもしれない。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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