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2020年06月03日08:34

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連続ブログ小説 淋しい生き物たち−少女の欲しかった日 第47話

「ねぇ、お父さん、もーいーかい?」
「あ、悪い」
 彼は急いで左の湯に移ってから叫んだ。
「もーいーよー」
 最初、ハリの目に自分の裸体が触れるのには抵抗があったが、圧倒的な自然に囲まれているうちにそんなことはどうでもよくなってきていた。
 ハリは近づいてきて、彼の湯船の横やや前方に腰を下ろし、手を浸してみてから海を眺める。その海は港ほどではないが、少しばかり黄土色に染まっている。
「あー、気持ちいい。でも、やっぱり女性の方が何か損だよね」
 潮風に吹かれるハリは軽いトーンで重いことを言った。
「隠さなきゃいけないこと、守らなきゃいけないことが男性よりいっぱいあって、赤ちゃん産むのだって育てるのだって男性がどれだけ頑張っても負担は9−1で女性だよね」
 その口調に彼を責める響きなどなかったが、彼は癒えていない古傷をつつかれたような気分になって言葉を失う。波の音だけが大きくなる。
「ごめん。こんな気持ちのいい場所で変なこと。私もお湯に入りたかっただけ」
 ハリが空気を混ぜ返すように明るい声で言った。
「悪くないよ。ぼくはダメな男の代表みたいなもんだから何にも言う資格はないけど、ハリのいろんな思いをいっぱい聞きたいと思ってる」
 また僅かな沈黙が支配したあと、ハリが言った。
「ありがと、お父さん」
 いつからだろう。ハリは彼をお父さんと呼ぶようになっている。

          フォト   
 それからふたりは島の中を自転車で散策した。集落付近では日曜日だからか、あちこちで子どもたちとすれ違う。子どもたちは皆きちんと挨拶をした。車で通り過ぎる大人たちも皆頭を下げた。
 学校を見てみたかったので、道を訊いたのはアングロサクソンの遺伝子が入っているのか、髪の色が淡く、ハリより白い肌をした愛らしい女の子だった。低学年だと思えるその少女とはそれから何度も行き会うことになり、そのたびに愛くるしい笑顔を送ってくれたのだが、他の子たちと違ってその子はいつもひとりきりだったのでそのことをハリは気にしていた。
 学校は八重山の離島のそれと同じように芝の運動場で、小ぢんまりと温かみのある学校だった。それから赤茶色でとても入る気にはなれない小さな浜辺、島にゆかりの俊寛の像、キャンプ場、野外の温水プール・・・・、ふたりは集落近くを巡った。
 夕方になったので自転車を案内所に返し、「明日もお願いします」と挨拶をして宿に戻った。どこかにおばあがいるのかまだ帰っていないのか、とにかく人影はなかったので、心地よい疲れを感じていたふたりは畳の上に大の字になり、硫黄島初日の感想を交換し合った。

【作中に登場する人物、地名、団体等にモデルはありますが、実在のものとは一切無関係です。】
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