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2020年05月11日20:07

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中山道の旅は突然中断した

4月10日(金)

太田〜鵜沼〜加納

6時30分過ぎにホテルをチェックアウトする。
まだ美濃太田の商店街は誰も歩いていない。

ここは口裂け女が日本で最初に現れた街だ。
詳しい場所も特定されている。
商店街の東側に面する「ヨシダ靴店」の駐車場だ。
1978年当時、スーパーマーケット・オガワヤの駐車場だった。。。。。。
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いかん、中山道ウォークの記録を書いていたのだ。
口裂け女のうんちくを披露していてはまた長くなってしまう。

駐車場で記念撮影をして、速やかに中山道へ行く。

7時、旧道を歩きだす。
すぐに祐泉寺が見えてくる。
太田宿は播隆上人が過ごした。
お墓もこの寺にある。

播隆上人は槍ヶ岳に初めて登った人だ。
新田次郎の小説にもなっていて。。。。。。
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いかん、山登りの話になるとつい脱線してしまう。

太田宿の古い町並みを歩く。
宿場から外れ、クランク状の枡形道を過ぎる。
国道41号の下をくぐる。
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木曽川の堤防道路に中山道は続いている。
左手に木曽川を見ながらのんびりと歩く。
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ラブホテル・チョコレの角で国道21号に出る。
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パジェロ製造の前を通る。
三菱自動車の子会社でパジェロを作っている工場だ。
これから仕事に行く人達で列ができていた。
坂祝町はパジェロの街なのだ。
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工場を過ぎるとまた堤防道路に戻る。
ロマンチック街道と名付けられたきれいな道だ。
3キロほど真っ直ぐな堤防道路を歩く。
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ロマンチック街道が終わりまた国道21号を歩く。
木曽川の対岸を見ると犬山市栗栖の集落が見える。
愛知県最北端の街だ。
ついに愛知県まで来たか!
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途中で岩の坂を登り、岩屋観音堂にお参りする。
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また国道に戻る。
交通量の多い道路を歩いていく。

木曽川の側には廃屋店舗が並んでいる。
なにがどうして揃って廃業したのだろうか。
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廃業店舗群の最終の敷地の駐車場から石段を下りる。
国道下のトンネルをくぐり、道の反対側に出る。
その先には未舗装の登山道が続いている。
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国道21号から突然にハイキング気分で森の中を歩くことになる。
うとう峠へ登っていくのだ。
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峠には一里塚があり、その先はすぐに整備された公園と団地、住宅街だった。
景色が目まぐるしく変わる。
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溜池をぐるりと回り、新興住宅街の坂を下っていく。
天王坂というところだ。
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しばらくすると前方に犬山城が見えてきた。
愛知県が誇る日本最古の国宝の城だ。
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坂を下りきって赤坂神社の右に曲がる。
そのまま真っすぐ行くと鵜沼宿だ。

鵜沼宿の道はほぼ直線だ。
普通の宿場は見渡しができないようにくねくねと曲がっている。
おそらく尾張藩の領地の真ん中なので、争いとか緊急の場合とかどうでもよかったのだろう。
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古い建物はわりとたくさん残っている。
本陣跡はツーバイフォーの建売住宅になっていたけど。

宿場の真ん中に神社があった。
二宮神社という立派な社だ。
本殿が古墳の上に建っている。
今でも石室が残っていて中を見ることができる。
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古墳と神社信仰の関係は興味深いものがあって、伊勢神宮もそもそもは古墳の上に作られている。

というようなことを書いていては前に進まないからやめる。

鵜沼宿を過ぎてさらにまっすぐ県道を歩く。
1キロほどで国道21号と合流する。
そこから6キロほど国道を歩いた。
交通量の多い、変化のない道路を行く。
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国道沿いは完全に江戸時代の雰囲気は払拭されている。
二十軒立場というお茶屋が20軒ほど並んだ所があったはずだけど、該当の場所にはニトリが建っている。
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でもそのぶんお店には困らない。
昼食は吉野家でダブル定食を食べた。

川崎重工岐阜工場の横を通る。
敷地の中に「川崎神社」という社があった。
どんな神様をお祀りしているのだろう。
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名鉄三柿野駅を過ぎた交差点で国道と別れて県道を進む。
片側一車線で、やはり真っ直ぐな道路だ。
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建替え中の各務原市役所の前を通り過ぎる。

カエルが狛犬の日吉神社。
このあたりはガマガエルの大きな群れが生息していたそうだ。
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そこから中山道はだんだん狭くなる。
新加納立場跡のお屋敷やお寺からクランク状に曲がり、生活道路のような道を歩いていく。
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伊豆神社という社があった。
鳥居の横に「昇格記念」と彫られた記念碑があった。
昭和9年に社格が上がったらしい。
なんとこの文字は陸軍中将 板垣征四郎書となっている。
東京裁判でA級戦犯に指定され死刑になった悪い人だ。
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さらにまっすぐ伊豆神社から3キロほど歩く。
加納宿に入った。

宿場の中は枡形が3つある。
主に生活道路だけど道はよく残っている。
あいかわらずつぶつぶアスファルトが誘導してくれる。
古い建物は少ないが神社やお寺などはそのままだ。

岐阜駅の高層ビルも近くに見えてきた。
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加納城大手門跡を曲がる。
岐阜のお城といえば岐阜城だ。
でも江戸時代は廃城になり、かわりに加納城という平城が加納宿近くに建っていた。
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本陣や脇本陣は残ってないけど、子孫がそのまま住んでいるらしい。
近代的で大きなお屋敷が建っている。
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15時30分、栄町通の交差点に着いた。
ここを右に曲がると岐阜駅だ。
今日の中山道はここまで。
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岐阜駅を通り抜けて北側へ出る。
駅前の「コンフォートホテル岐阜」へチェックインする。

岐阜市には労働組合の用事で頻繁に来る。
岐阜駅周辺などおなじみの店がたくさんある。

夕食は名鉄駅ビルの豆腐料理にした。
そのあと、よく待ち合わせや時間調整をするコメダ珈琲岐阜駅東店へ行く。
のんびりとコーヒーを飲んでいると、どうも旅の途中とは思えない。
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それで夜になってホテルでテレビを視ていた。
いつもは旅先でテレビの電源など入れない。
今回は新型コロナ情報を毎日チェックするために視ていた。

そしたら今日付けで愛知県と岐阜県に非常事態宣言が出た。
不要不急の外出をやめろと知事さんたちが言っている。
中山道ウォークなんて、まさに不要不急だ。

今までもあちこちが自粛休業で苦労してきた。
明日からはもっと大変なことになるだろう。

それにもう一つ、明後日から天気が崩れそうだ。
ことによると暴風雨になるかもしれない。

ここは岐阜だ。
名古屋まで30分、470円で帰れる。

という思考の流れにより、中山道ウォークを中断することにした。
京都まで行きたかったのに残念だ。
ホテル1階のコンビニで買った酒を煽り寝た。


4月11日(土)

朝遅く起きてチェックアウトする。
岐阜駅前は人通りがない。
人類破滅SF映画のようだ。
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名古屋駅に着いたらやっと少し人が歩いていた。



あれからもう一か月か。
そろそろどこかへ行きたくなってきた。
非常事態宣言が解除されたらすぐに続きを歩こうか考え中。

おしまい
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