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2020年01月01日20:15

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去年の課題の残りの話

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』。
それは、時代に残るゲームとして世に出たのを
一度はやっておかないといけないなーと思っていたところ、
先輩がWiiUをくれるというので、じゃあやるかーと
発売から一年以上経ってからようやくプレイしたゲームであり、
一応エンディングは見はしたが
どうにも自分の中にしっくりこないものがあり、
尚且つそれを言語化できず、
もう一回やってしっかり言語化しないとなーとは思いつつ
結局二回目のプレイも10時間経たないうちに投げてしまい、
そのままになってしまっていた、
自分の2019年の心残りのことである。

という訳で、再度プレイはしていないけれど、
年末に友人とその辺りの話も出たこともあり、
再度、何故自分はこのゲームを好きになれなかったのかを考えてみる運びとなりました。
終わり。






で、色々考えてみたのだけれど、
全体を通して一つ、
「どこまで行っても既知が続く」、と言うのが、自分がこのゲームを好きになれなかった要因じゃないかな思う。
「何馬鹿なことを言っているんだ、『発見の連続』のゲームだろ」
と言われると思う。
うん、まあ、そうだよね。
でも、自分にとっては既知の、何をしても同じに感じるゲームなんだ。
それを紐解いていく。


障害に対する報酬について。
「克服の証」も武器もコログも、何もかもがずっと同じだ。
「克服の証」は言うまでもない。見知らぬ土地を旅して、おやっと思う場所を調べてみて、
祠を見つけた瞬間に、もうそこに何があるのか分かる。
だって祠はそういう施設だから。
見知らぬ土地を旅しても、厳しい道のりを越えても、そこにあるのは未知の何かではなく、
まだ見ぬ物理パズルと、その障害を乗り越えた先にある既知。
武器もそうだ。
全ての武器は壊れる。壊れるから、再入手できる。
属性武器やエンチャントのかかったものもあるけれど、それらは知っていれば知っている数打ち品だ。
特別な効果を持った、見た事のない武器なんてどこにもない。
しかも、入手は基本的にリンクの強さに依存して出現する。
何処かに行って、序盤の内にこっそり強い武器を手に入れてヒャッハーする、なんて事すら意味がない。
だって、装備は壊れるし、
強くなるのは何処までいっても一次関数的だ。
そう、強くなることすら既知が続く。
リンクが強くなるっていうのは、防具を強化したり「克服の証」を集めたりする事がメインだ。
強い武器を取って強い敵を倒しても、いきなり強くなるわけじゃない。
突然見たこともない様な力を手に入れて、世界がぱっと開ける瞬間なんて、殆どない
(リーバルトルネードを除く)。
ダルケルの護りも、ミファーの加護も、ウルボザの怒りも、全てリンクの持っている力の延長上のものでしかない。

ちょっと話が脱線したけど、後コログについて。
これも、「克服の証」と大して変わらない。
無意味に山に登ってみよう、崖の端まで行ってみよう、
そうした先に待っているのは、見た事のない美しい何かではなく、コログだ。
その報酬も、小さなメダルのような、まだ見た事のない何かではなく、
バックの拡張という一次関数的な成長。
行ってみようと思った先に報酬があるのは、まあ悪いとは言わない。
けれど、どこへ行っても何をしても、製作者の掌の上で、
無意味であろうと見た事のない何かを探したその先で、
その事実を既知と共に突き付けられるのは、あんまりだと思う。

マップ移動も、既知が続いたと思う。
「いや、そんなことはないだろう
 あの山を越えた向こうに、新しい何かを見つけるじゃないか。
 ずっとそれが続くゲームじゃないか」
それはまったくもってその通りだ。
でも、その山に向かうまでの道のりは?
マップがまだ2Dだったころ、
一歩進めば一歩分だけ画面がスクロールして、
スクロールした分だけ、まだ描写されていない何か、未知と出会った。
3Dになって、見える範囲は全て既知になった
未知は彼方に見える既知の向こうにしかなく、そこに至るためには既知を何歩も歩き続けなくてはならない。
……まあ、正直言い過ぎな表現だとは思う。
遠くにある何かが、一体何なのかを調べに行くー、とかだったり、
移動中に新しい何かを遠目に見つけることの方がずっとずっと多いかもしれない。
でも、やっぱり自分にとって、
未知を見るために既知を歩き続ける時間は楽しいものではなかった。
移動は割と苦痛だった。

続く
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